「新宗教建築論」の集大成
—— ちくま学芸文庫版『新編 新宗教と巨大建築』に寄せて

橋爪紳也

 生家の真向かいが天理教の大教会であった。昭和三〇年代の後半、大阪の都心といえども、高層の建物はまださほど多くはなかった。私の勉強部屋の窓から正面に、多くの樹木に囲まれた木造の教会が見えていた。遠近感を忘れてしまえば、遥か遠くに見える通天閣が、その棟から生えているといった風情であった。毎朝、教会から聞こえて来る雅楽の調べが、子供の頃の私にとって心地よいモーニングコールであった。小学校の同級生の家でもあったゆえに、親しみのある場所だった。
 年に何度か、多くの信徒の方が集まる日があったようだ。しかし地域住民として、違和感を覚えた記憶はない。信仰の場にふさわしい風情はあるが、際立って強い主張をするわけでもない。今にして思えば、伝統的な寺院建築のような外観をもって、ごくごく当たり前に「宗教施設らしさ」を主張することで、普通の市街地になじむ建物であった。
 昭和五三年頃のことだと思う。大掛かりな工事が始まる。鉄筋コンクリートの壁を立ち上げ、堂々たる大屋根を載せた神殿や客殿が竣工した。大教会にふさわしい風格である。私の部屋からの見通しも悪くなったが、それ以上に和風の宗教建築が醸しだす荘厳さ、とりわけ巨大な屋根の圧倒的な存在感が印象深かったことを覚えている。長屋や町家など、見慣れた在来工法の家並みを抑えつけて突出しながらも、林立し始めたビルディング群が描くスカイラインに抗うような姿は独特だ。
 のちに大学院で建築史学を専攻し、修士論文の研究主題を探していた時、くだんの天理教の大教会を思い出す機会があった。近代和風建築の調査が全国で進められつつあった時期でもあり、明治以降の社寺建築について調べるべく、京都で活躍した亀岡末吉などが遺した仕事を見てまわっていた。その頃、面白いと思って購入した本の一冊に、横山秀哉氏の『コンクリート造の寺院建築』(彰国社、昭和五二年)があった。近代以降の仏教寺院で、鉄筋コンクリート構造の事例を集めたものだ。
 ページをめくるうちに、自身の経験を想起しながら、これはいつか自分なりに発展させてみたい主題だと直感した。新しい建築材料や建築技術の導入に応じて、近代という時代のなかで社寺建築が、ひいては日本における宗教建築が、いかに変貌してきたのだろうか。新興の宗教は、どのように伝統的な寺院建築のデザインや空間演出を翻案し、みずからの薬籠に収めたのだろうか。近代建築史にあって、あきらかに抜け落ちている視点だと思った。しかしその後、巨大大仏の類を「人型建築」と定義して雑文をしばしば書いてきた程度で、宗教施設の本質について深く考える機会を持ちあわせてはいなかった。
 本著の元となった五十嵐太郎氏の『新宗教と巨大建築』(講談社現代新書)が刊行された際、これは面白いと思ったのはそのような経緯があったからだ。一九世紀後半に成立した天理教、金光教、大本教など新宗教の建築に焦点をあてて、それぞれの教団の教義を読み解きながら、その概要を説明している。私は、いかなる宗教もその始まりは新宗教であったという視点から、前近代の宗教建築が保有していた特性と、近代の宗教建築の連続性に着目しようとしていた。しかし五十嵐氏は、宗教と建築との関わりあいのなかで、「宗教は建築を捨てたのではないか」とする立場を取っているようだ。切り口に感心した。
 洋の東西を問わず、宮殿や城郭などとともに、神殿や教会堂、あるいは寺院などの変容そのものをもって、建築の歴史は成立している。少なくとも近代以前までは、宗教建築は各時代の技術とさまざまな芸術活動を集大成した精華であった。先人は過去の宗教建築を評価する規範と体系をつくるべく、建築史学という学問領域を立ち上げたといってもよい。しかし二〇世紀にあって状況は変わる。新宗教を含む宗教建築は、少なくとも最先端の技術を持って建設されてはいない。建築史学は、今日の宗教建築を評論する言語すら持ち得てはいないのだ。
 当時、朝日新聞に書評を書く機会を得て、「総括が充分ではない」と要望を記した。宗派を超えた新宗教の建造物の特質として、「伝統と近代がせめぎあう屋根の造形」と、予言を可視化するために「時間を超越するモニュメント」を用意しているなどの言及にとどまり、より俯瞰的、通時的なパースペクティブを持った「新宗教建築論」になってはいない。特に諸外国との比較研究を期待したいとあえて記した。
 その要望に応える本が、踵を接するようにして刊行されたのには驚いた。それが『近代の神々と建築』(廣済堂ライブラリー)である。ちくま学芸文庫版『新編 新宗教と巨大建築』では、既刊の二冊を併せ、さらに雑誌に発表した論文を収録することで、新宗教に関わるこれまでの著作の集大成としている。本書を読むと、オウム真理教が建設したサティアンを建築の歴史にいかに位置づけるのかという関心が、のちに「戦争と建築」をめぐる思索に発展してゆく流れを知ることもできる。
 もちろん本書が刊行されても、著者がのぞむ建築史学からの応答はないかも知れないが、より広い読者の支持を得ることだろう。隙間を埋めるように見えて、新たな領域を拓く研究は常に学際的であり、良い意味で「キワモノ」である。五十嵐氏の仕事も例外ではない。

(はしづめ・しんや 大阪市立大学都市研究プラザ教授)

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新編 新宗教と巨大建築

五十嵐 太郎 著

定価1,260円(税込)