近未来を見据えた画期的なやくざ論

猪野健治

 宮崎学の最新刊『近代ヤクザ肯定論』は、サブタイトルに「山口組の90年」とあるように、山口組の初代・山口春吉が淡路島の一漁師から、神戸に流れて沖仲仕の群れに投じ、やがて独立して港湾荷役業山口組を起こして独立、その流れが今日の日本最大のやくざ組織・六代目山口組につながっていく過程を豊富な資料と的確な取材によって描き出している。
 これまで山口組について書かれた本は数多いが、その大半はエンターテインメントに重心を置いたものである。別な言葉でいえば、やくざの頂点に君臨する山口組という非日常の世界へ案内することで、人々の好奇心を刺激する内容ということになろうか。やくざや一部職人集団、壮士、院外団などを社会病理学の立場から解剖した本に、岩井弘融の名著『病理集団の構造』(昭和三八年三月・誠信書房)があるが、宮崎学の視座はもっと幅が広く、分析の仕方も深く鋭い。
 山口組の変遷をたどりながら、同時進行的に時代背景、政治の動き、下層労働層、被差別階層との相互依存関係、三代目の田岡一雄時代に入ってからは独占資本・権力との癒着と背反、児玉誉士夫、田中清玄など大物右翼との錯綜した関係、政財官から文化人に及ぶ多彩な人脈など検証の範囲はカメラでいえば三六〇度に及んでいる。したがって山口組を中心に据えながらも、やくざの全体像を描き出すとともに、ある意味では大正・昭和から平成にいたる裏社会の解説書の機能も果たしている。
 私がやくざの本格的な取材を始めたのは、歴史学者・奈良本辰也先生の薫陶を受けてからだ。奈良本先生は当時、部落問題研究所の代表の座にあった。私も同研究所の会員の一人で、学研の学習雑誌の部落問題特集号の取材で京都の自宅を訪ねたのが最初の出会いであった。そこで先生に差別がやくざを生みだす人的温床になっている現実を教えられたのである。
 いつの時代にもやくざの組員は、最底辺の生活を強いられている被差別窮民によって構成されてきた。
 しかし被差別部落の人たちがやくざ社会に流入してくるのは、実は明治四年八月、太政官布告で「解放令」が公布されてからなのだ。それまでは部落の人たちは部落の外へ出ることができず、やくざになる自由さえもなかったのである。同じことは在日韓国・朝鮮人についても言える。彼らも昭和二十年八月、日本が敗戦の日を迎えるまではやくざになることもできなかった。自由渡航してきた人を除いては、すべて軍需工場や軍役などの強制労働現場にクギづけにされていたからである。
 宮崎学は、「山口組をはじめとするヤクザの組が、これら被差別集団にとって、最後のアジール(避難所)となり、夢の容器になったことはまちがいない。なかでも山口組はそうであった。それは、三代目田岡一雄のキャラクターに負うところが大きかった」と書いているが、まさにそのとおりである。
 そして同和対策事業が進展し、エセ同和が登場して「同和利権」が派生するなかで、本来の解放運動の理念が失われ、近代やくざが変質していく過程を「彼らが被差別部落民と在日コリアン社会という日本社会における被差別集団の前楯、後楯ではなくなっていく過程こそ、近代ヤクザが近代ヤクザとしては消滅し、別物に変質していく過程にほかならなかった」と近代やくざの終焉を告げている。
 私はまだそこまではいっていないと考えている。それは山口組の最高幹部の一人に組織構成員の変化についてたずねたとき「大雑把なところ三、三、三かな」という答えが返ってきたからである。これは構成層の比率のことで、被差別部落出身者、在日コリアン、市民社会からのドロップアウト組がそれぞれ三分の一という意味である。別の情報では、全やくざの四次団体を含む組長の二五%は在日コリアンだという。依然として在来型の被差別階層が構成層の主流を占めているのである。
 いま山口組を頂点とするやくざ社会は、暴対法体制下で危機的状況に追い込まれ、マフィア化への道を走り始めている。そのやくざの近未来に何があるのか。宮崎学は全く新しい「組」的団結による「水滸伝」に似たアジア規模の「一種の盟約的ネットワーク」の出現を期待している。

(いの・けんじ ジャーナリスト)

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近代ヤクザ肯定論 ─山口組の90年

宮崎 学 著

定価777円(税込)