沖縄の風と光——『TSUNAMI』を読む

大原広軌

 この読後感の良さはなんだろう。
 沖縄を訪れた主人公が、不登校の少女と出会ってからの六年余りを描く青春小説『TSUNAMI』は、豚が登場すること、ある場所から突如水が湧き出すことなど、それだけ聞くと、僕のような沖縄贔屓の人間ならずとも、「リテラチャ・デジャビュか?!」と思ってしまいがちだ。
 しかしそこは太宰治賞を受けた著者・志賀泉氏なのだから、ユタ(沖縄の女性民間霊媒師)や芭蕉布など、沖縄定番のアイテムを取り入れつつもストーリーはオリジナリティに溢れているし、人物描写が確たるものであることも間違いない。エンディングの爽快さも格別で、つまりこれら“小説の核”だけで心地よい読後感は約束されているのである。筑摩書房のホームページ(HP)上にある本書発売記念エッセイ(http://www.chikumashobo.co.jp/special/tsunami/)で氏は、自身が「人生最悪の時期だと考えていた」際に初めて訪れた沖縄で、「『生き直せる』という確信を抱くまでになった」と書くが、そんな気持ちとも無縁ではないだろう。
 もう一点、読後感の心地よさを後押ししているのは、沖縄の描き方の絶妙さか――。
 上記HPを読むと、著者と沖縄との並々ならぬ関係、そして何より沖縄への思い入れの強烈さが見て取れるのだが、本書で描かれる沖縄は、語弊を恐れずに言えば、あくまで淡々としている。沖縄に憑かれた本土出身の人間にとって、実はこれが一番難しいところで、たとえば僕のように、三十数回という渡沖回数くらいしか自慢できないくせに“沖縄原理主義者”を自称するような人間は、かの地についての持てる知識を総動員し、悦に入るという悪い癖がある。沖縄オタク、とでも言おうか。
 そんな沖縄オタクの一番の罪は、「沖縄のパワー」などと、すぐにスピリチュアルな方向で沖縄を語ろうとするところにあったりする。これが酒場の会話レベルで済んでいるうちは大勢に影響はないだろう。しかし活字や映像にするとなると話は別だ。オタク以外の人にとって、かなり鬱陶しく映るらしい。
 事実僕は、一〇年程前にある雑誌で沖縄をテーマにしたコラムを連載していたことがあったのだが、全編にわたりそんな悪癖のオンパレード、沖縄出身の友人には「浅草サンバカーニバルを見たブラジル人の気持ちがわかるようだ」と評され、沖縄未経験の人間からは「沖縄って、オカルト系が好きな人ばっかりが集まるんですか?」などと若干引き気味の真顔で尋ねられる始末。立派な前科者なのである。
 著者は、そんな過ちを犯さない。HPによれば、「沖縄という土地が、僕にあの小説を書かせたのかもしれない」としつつも、本書では「秘すれば花」とばかりに、スピリチュアルな部分を極力削ぎ(まったくない、というわけではない)、ストーリーをあえて淡々と綴ることで、「沖縄の力」なるものの判断を読者にゆだねているようにすら思える。沖縄オタクの鬱陶しさなどとは無縁だから、読後感はこの上なく爽やかだ。
 さらに本書、情景描写の鮮やかさも特筆に価する。亜熱帯性気候が生み出す沖縄の海や空の色合いはもちろん、足元に張り付くような短い影、天中から射りつける日差しをただ照り返すだけの白いコンクリート造りの建物、原色に近い羊歯植物などが真摯な筆致で描かれている。そのどれもが、読み手に映像を思い浮かばせるだけでなく、匂いまでも喚起させてくれるのが秀逸。対照的に描かれる東京での陰鬱な生活も、沖縄の光を際立たせる役割を担っていて、嫌味がない。
 ストーリーに、人物・情景描写に優れ、沖縄との距離感が絶妙な本作だから、すぐに映像化の話が持ち上がるだろう。ディレクターによってカラーはずいぶんと違うものになるだろうが、原作の素晴らしさを最大限生かした作品になりますように、というのが、本書を読んで改心しつつある一沖縄オタクの願い。

(おおはら・こうき フリーライター)

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TSUNAMI

志賀 泉 著

定価1,470円(税込)