童貞と学歴

小谷野 敦

 このところ、童貞ばやりである。昨年は、『40歳の童貞男』というアメリカのB級映画が封切られたし、今年は「全国童貞連合」会長の渡部伸による『中年童貞』(扶桑社新書)が刊行され、渡部は、三十四歳で童貞だと自称している。四年前には渋谷知美の『日本の童貞』(文春新書)が刊行されているし、そもそもの発端は、国文学者の石原千秋が、夏目漱石の三四郎は童貞で、だからちゃんと笑ってあげないといけない、と発言したことに怒った私が、『もてない男』(ちくま新書)の冒頭に置かれた「童貞であることの不安」を書いたところから始まった、ゆるやかな流れだと言っていいだろう。
 もっとも、今あげた「童貞もの」には、それぞれ私はあまり感心していない。映画のほうは下品なしろものだったし、渋谷のものは、かつて童貞がかっこいい時代があった、というのは間違いである。渡部の、「コミュニケーション・スキルをみがけ」という、上野千鶴子への反駁は当然なのだが、肝心の全童連のホームページには、サクラだらけでもてない男に浪費させる出会い系サイトの広告が出ているし、あまり良心的なお方とは思えないし、読んでいて、著者が童貞というのは嘘ではないかと思わせる、切迫感や悲愴感の欠如が目立った。
 ところで、渡部著の最後に、著者の体験と称して、好きな女と初めてデートして失敗する話が出てくるのだが、その日のうちにセックスに持ち込もうとする行動がどうにも不自然で、私は、低学歴臭がする、とブログで書いて、「学歴差別だ」という非難を浴びた。だが、実際には、童貞問題は学歴としっかり相関しているはずなのだ。
 私の試算では、現在、三十歳で童貞という人は四十数万人いる。これは全体の一〇%程度と見ての数字だが、私が『もてない男』を出したとき、井上章一さんが「今どき、三十歳で童貞なんて、トキみたいなもの」と言ったのは、大きな間違いだった。しかし、おそらく童貞・処女率は、高学歴者ほど高いと思われる。なぜなら、高卒、専門学校卒、三流大学卒、あるいは中退者のほうが、よりたやすくセックスするからである。切通理作氏と対談した時、同氏が学生時代、女友達と一緒に呑みに行って、セックスさせてくれと土下座して頼んだりした、というのを聞いて一驚を喫したが、これも和光大学ならではである。むろん男の低学歴層であれば、ソープランドへ行ったりデリヘルを利用したり、ということも多い。
 いくら差別だと言われても、階層による性行動(を含む思考や行動)のあり方は厳然と違うのだから仕方がない。もちろん、これは率が高いという話であって、セックスしまくる東大生もいるし、高卒の三十歳童貞も、いないとは言えない。ところが、では結婚できない率はというと、これも低学歴でより大きくなる。つまり、童貞問題は結婚問題とは、時には逆立するのである。
 さて、本書は、童貞であることを主題とした小説を集めたものだ。主として、童貞であることに苦しみ、なんとかセックスを成し遂げようとする、そして娼婦を買ったりする青年の小説を集めた。もっとも、少年の性の目覚めのようなコールドウェルの小説も、童貞とセックスするのはごめんだ、と言う女が主人公の藤堂志津子の小説も入っている。ほかにも筒井康隆の「喪失の日」とか丸谷才一の「鈍感な青年」があるが、あくまでリアルな苦悩を求めたので、これらは入っていない。それより、編集してから気づいたのは、アミエルを除くと、童貞であることに苦しむ(あるいは性欲に苦しむ)青年たちが、二十歳前後だということで、これには隔世の感を禁じえなかった。これはひとつ、三十過ぎた童貞男の苦悩を描いた小説に、ぜひ出現してもらいたいところである。

(こやの・あつし 東大非常勤講師)

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童貞小説集

小谷野 敦 編

定価945円(税込)