科学ブンコという名の反逆

竹内 薫

 科学離れやモノづくりの衰退が心配され始めたのは、いつのことだろう? 私が学生だった頃、科学が描く未来は輝いていた。しかし、今の日本は、科学技術立国と名乗るのも憚られるほど、科学がくすんで見える。
 私は、その大きな原因の一つが「科学読み物」にあると考えている。もともと、学校で教わる科学が大きく様変わりしたわけではない。また、テレビのような媒体は、科学知識を深く伝えることができないから限界がある。インターネットは、科学知識を「眺める」あるいは「調べる」のには便利だが、そこから科学少年や科学少女が育って、将来の科学技術を背負ってくれるとは思えない。
 となると、科学を深いレベルで伝えることができるのは、印刷媒体に限られることになる。
 残念ながら、私が学生だった頃と比べると、ほとんどの科学雑誌が廃刊に追い込まれ、科学を活字で伝える仕事は氷河期を迎えている。
 その中で、きわめて貴重な「反逆」の試みが、ちくま学芸文庫のMath&Scienceである。これはまさに科学ブンコという名の反逆なのだ。創刊二周年を迎えるこのシリーズは、いまや、我が国の科学読み物の屋台骨の一つといえるまでに大きく成長した。そこで、私の独断と偏見で申し訳ないが、既刊の本から「オススメ」をピックアップしてみたい。
 まず、はずせないのが『マッハ力学史』(上・下)だ。力学史という名前がついているが、かつて、アインシュタインが愛読し、一般相対性理論のヒントを得た書物として有名な本である。最近、宇宙論を専門とする物理学者の友人と話していたら、大学時代にこの本を読んで、初めて力学が心から理解できた、と懐かしがっていた。
 同じ物理畑の古典に『空間・時間・物質』(上・下)がある。アインシュタインの一般相対性理論を数学的に厳密に、そして思想的に深く解説した書物である。文庫版で読み返すと、また、新たな味わいがあって感心した。Math&Scienceシリーズの恐るべきところは、そのラインナップに、物理や数学の古典的名著がさりげなく入っていることだろう。
 もっとも、個人的には、『トポロジー』や『πの歴史』など、柔らかい内容の数学書が復刊されているのも嬉しい。先日、友人で作家の鈴木光司さんに後者を勧めたら、やけに面白いということで、延々と数学談義になってしまった。文庫という形式は、読者層を理系から文系へと拡げる可能性を秘めている。
 徐々に柔らかい本に移ってきたが、(数学が苦手だが数学好きの私にとって、)数学エッセイほど楽しいものはない。『数のエッセイ』や『フェルマーの大定理』など、学生時代に読んだ憶えがあり、とても懐かしい。いつのまにか原本はなくしてしまったが、再び文庫に姿を変えて私の本棚に戻ってきてくれた。
 変わり種は『算法少女』。和算の歴史小説があるとは驚きだ。恥ずかしながら、この文庫のおかげで、初めてこのような本があったことを知った。埋もれた名著が復刊されてベストセラーになる。まさに、「反逆」が成功した好事例であろう。
 科学書の棚は年々、縮小され続けてきたが、ここのところ、新たな新書や文庫のシリーズが創刊され、少し元気を取り戻してきたような気がする。
 そう、科学ブンコの品揃えが豊富になり、それが科学書コーナーと文庫コーナーの一角を占領するようになれば、古くからの科学ファンのみならず、これまで小説しか読んだことがなかった文庫ファンの手に取られる可能性も高まる。
 結局のところ、この国の文化を根底から支えるのは活字なのだ。それは科学とて例外ではない。
 喜ばしいことに、今のところ、科学ブンコという名の反逆は大いなる成功を収めている。私がここでご紹介できなかった中にもたくさんの科学名著が含まれている。どうか、本屋さんに行ったついでに、ちくま学芸文庫の棚を覗いてみてください。そこには、あなたの世界を変えてくれる一冊が並んでいるかもしれませんゾ。

(たけうち・かおる 科学作家)

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