幸せになろうよ

清水義範

 近頃なんだか、子どもの受験に親が夢中になってのめりこむ、ということがやけに流行しているのをご存じだろうか。親が子のいい進学を望むのはあたり前のことで、そんなのは最近の流行でもなんでもなく、昔から教育ママ、教育パパといって、あったものだよ、と思う人のほうが多いだろうか。
 でも、それとは少し違うのである。親が子どもといっしょに受験勉強をしたりして、一丸となって目標の達成をめざす感じなのだ。
 政治の裏側や、ゴシップや、ボーナスの多い会社のことなんかを報じていた一般的なサラリーマン向け週刊誌が、「我が子を有名校に合格させる指導法」という特集や、「私はこうして我が子を合格させた」なんていう手記などをのせているのである。そのほか、あなたの子を勉強のできる子にするには、というコンセプトの雑誌がいっぱい出ている。
 昨今の親にとっては、それはやりがいのあるトライでもあるらしいのだ。目的がすっきりしていてやりがいがあるらしい。
 そしてもうひとつ、この先の日本社会が格差社会になっていって、上流の人間と下流の人間に分かれそうだと言われていることが、これにからんでいる。上層と下層とに分かれるわけであり、上層に入れるのが勝ち組、そうでないのが負け組になる、というような意識だ。
 そういう社会ならば、親としては我が子に上層に入ってくれと望むのも無理はない。そこでついつい、いい進学をしてくれ、勝ち組に入ってくれ、と願うわけである。そのせいで、あらためてのお受験夢中時代なのだ。
 しかし私は、そういう風潮に少しこわいものを感じるのだ。どんなに受験に夢中になっても、結果がうまく出るとは限らないからである。いくら親が熱心でも、ある大学の合格者数は変わらないのだ。つまり、夢中でトライしてみたが合格はしない子が、絶対にいるのである。
 その時は、親は大いに失望し、子は親の期待にこたえられなかったという自信喪失を味わう。うちの子は負け組だったんだ、というような結論が出てしまう。
 それはとんでもなく害の大きい教育だと思うのである。
 親が自分の子どもに持っていてほしいと望む力は学力だけなんだろうか。とにかく学力がなければそれはダメ人間なんだ、と考えているのならば私は言いたい。その考え方は、あなたの子どもを不幸にするおそれがあると。
 人間が持っていたい力のうちで、学力はそのうちのひとつにすぎない。それはあまり得意じゃない子も、幸せになる道はいくらだってある。
 親は、自分の子に幸せになってほしいはずなのである。人が幸せを掴むために必要なのが、学力といい学歴だけだなんて、とんでもなく視野の狭い考えである。
 子どもにあってほしいのは、幸せになる力である。たとえばそのひとつが、自分に自信が持てて、自分を好きでいられる、というような生きる上での力だ。学力なんかより、そういう力を子に持たせたいではないか。
 うまく社会の中で生きていく力もほしい。障害にぶつかった時に、それを乗り越える力もほしい。人間はひとりひとり別物なんだ、とわかっている想像力もほしい。
 そういう力こそ、幸せになる力であり、親が子どもにつけてやらなければならないのはそれなのだ。
 そのことを、私は子ども自身にも伝えたかった。おそらく多くの子は、自分が幸せになるためにどういう力を身につければいいのかわかってないだろうと思うから。そして、ぼくは勉強ができないからダメなんだ、と思っていたりする。
 そういう子どもや、その親に、こういう力を持てば幸せになれるんだよと、語りかけてこの『幸せになる力』という一冊ができた。かなり心をこめて、真剣に語ってしまった。

(しみず・よしのり 作家)

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