「心の時代」の正体

高橋哲哉

 物の時代から心の時代へ。——戦後の高度経済成長も一段落した頃から、この種の掛け声が盛んに聞かれるようになったと記憶している。そんな時代がいつやってくるのか、そもそも「心の時代」とはどんな時代なのか、皆目見当もつかぬまま掛け声ばかりが繰り返され、いつしか「心の時代」はクリシェ(紋切り型)と化し、誰もそんな時代の到来を信じなくなった——ように見えた。ところがどうして、いまや「心の時代」が鳴り物入りで始まりつつある。そこのけそこのけ「心の時代」が通る——なにせ、それはもはや一部の宗教家や評論家が唱えるお題目ではなく、企業や行政や国家さえもがスポンサーとなって巨額のお金が動く一大プロジェクトと化しているのだ。
 斎藤貴男の新著『「心」が支配される日』が教えてくれるのは、この「心の時代」の新段階の危うさと怖さである。じつは筆者も数年前、「心」を書名に入れた小著を上梓したことがある
(『「心」と戦争』二〇〇三年、晶文社)。教育基本法への「愛国心」導入、「心のノート」、有事法制、靖国神社参拝といった動きのなかに、憲法九条改正と新日本軍の立ち上げを下支えする国民の「心」の形成を読みとろうとしたものである。その問題提起に最初に肯定的に反応してくれたのが斎藤だった。それもそのはず、斎藤はその数年前に『カルト資本主義』(一九九七年、文藝春秋)を著し、日本の有力企業やビジネスの世界に蔓延するオカルト的な心理操作の実態を暴き出していた。「心の時代」があらぬ形で現実化していく不気味さをいち早く察知して警鐘を鳴らしていたのだ。
 その後、約十年。斎藤は「予感はそのまま確信に変わった」と述べている。かの不気味な動きはいまや、企業だけでなく地方行政、国家、市民、消費者等この国の多くのアクターを巻き込んで深刻化している。そこで、著者が「『カルト資本主義』以来の問題意識を中心に据え、可能な限り掘り下げて、“心の時代”の実相を検証してみることにした」のが本書なのだ。
 著者はもともと経済分野を得意とする。本書でもまず取り上げられているのは企業人の活動だ。大手カー用品販売チェーン「イエローハット・グループ」の創業者、鍵山秀三郎が率いる「日本を美しくする会」。一九九三年に結成された同会は二〇〇七年八月現在、国内外に百十八カ所の会をもちメンバー総数十万人超だというが、これがなんと「トイレ掃除」を通じて「心を磨き」、社会を「美しく」立て直そうという運動なのだ。子供のころから「四角いものが丸くなっちゃうくらい、一日の間に何度も何度も掃除をしていました」という鍵山の弁。「日本の会社はほとんどメシの糧ばかり追求しているから、みんな心が貧しいんですよ。うちの社員はトイレだけでなく、朝早くから会社の周りも掃除しています。私は私の会社の社員の心をいい心にしたいし、一人でも多くの皆さんに、心の糧を求める生き方をしてもらいたいのです」。
 駅や公園や街中の公共の場の便器に率先して手を突っ込んで、トイレをきれいにすることで「心」をきれいにしようという、何千という人々の「善意」が支えるムーブメント。これを素直に「素晴らしい」と思うのか、「うーん、でもちょっと待ってよ」と感じるか、ここに大きな分かれ目があるのかもしれない。「論理ばかりでは理解できない。情緒的、本能的にも察知すべき、察知できなくてはならない領域」があるという著者は、この「善意」の運動が行政や警察と結びつき、「学校正常化」や「治安対策」や繁華街の「浄化作戦」の切り札として活用されていく実態を、的確に追跡してみせている。
「心のノート」の生みの親・故河合隼雄氏へのインタビューをはじめ、その背景の詳しい調査や導入後の浸透の実態など、材料はいくつかに絞りこまれているが、看過できないこの国の「心」の現実が浮き彫りにされる。抑制された筆致だが、「心の時代」の「正体」は「人間が人間であることの何もかもを絡め取り、利用し尽くしてしまおうとする者どもの営み」だ、という著者の視点は揺るぎない。
(たかはし・てつや 東京大学大学院教授)

前のページへ戻る