歴史は遠くない

落合淳思

 私が研究している甲骨文字は、今から三千年以上前に中国の黄河中流域にあった殷という王朝で作られた文字資料である。
 古代の文明といえば、真っ先に思い浮かぶのは、考古学によって発見された壮麗な遺跡や遺物であろう。遺跡や遺物は発掘によって詳しく分かるようになったが、一方、そこに住んでいた人々については、漠然と純朴な世界であったというイメージが先行しているように感じる。
 しかし、古代文明とはいえ、やはり我々と同じ人間である。当然、全ての人々が無垢のうちに生きていたはずはない。特に王や貴族ともなれば、知恵を絞って人々を統治する方法を考え出していたであろう。
 甲骨文字が漢字の現存最古の字形ということもあり、甲骨文字や殷王朝に興味を持つ人は多いが、実際の政治や社会よりも原始性や呪術などに興味がいく傾向がある。
 甲骨文字は、当時おこなわれていた骨占い(甲骨占卜)の内容を記したものであるが、やたらと呪術的な内容が多く、次のようなものである。
  「山の神に雨乞いするが、いけにえを捧げるのがよいか」
  「戦争をするが、神の助けが得られるか」
  「王が狩猟をするが、鹿を捕らえられるか」
  「夢に鬼が出たが、災厄があるだろうか」
 甲骨占卜そのものが呪術なのであるから、そこに記された内容に呪術的な要素が多いことも、むしろ当然であると言えるだろう。しかし、そうした資料的な偏りがあることを無視して、文学的、あるいは文字学的な手法で字面だけをおっていくと、殷王朝の呪術性だけが強調されてしまう。
 私は歴史学が専攻であり、甲骨文字そのものよりも、殷王朝の政治や社会の復元に興味がある。そこで、字面をおうだけではなく、統計的な数値もあわせて分析するようにしている。
 ちなみに、殷王朝の研究に統計を用いることは、かなり昔に胡厚宣(ここうせん)や島邦男などの研究者が積極的に取り入れた手法であるが、結局、主流にはならなかった。理由は分からないが、あるいは文系の歴史学者には数値を使うこと自体、受けが悪かったのかもしれない。
 歴史学においては、資料ごとの特徴を加味して統計方法を調整する必要があることが多い。しかし、甲骨文字は均質的な資料であり、同じ地域で作られ、また文章も定型化して差異が小さいため、統計の数値を直接的に使うことができる。
 私は、個別の文章の内容だけではなく、時代ごとの統計的数値と時代間の数値変化というふたつの軸から資料を分析する方法を用いた。その結果、甲骨文字を文章として読解するだけの研究方法に比べ、はるかに大きな成果を得ることができた。
 例えば、殷王の系譜は政治的な意図によって改編が加えられ、甲骨文字の初期と末期、あるいは殷の滅亡後に変化があった。
 また、殷の滅亡は、文献に記されているような最後の王である帝辛(紂王)の個人的な悪趣味が原因ではなく、帝辛の即位七年目に起こった反乱を直接の原因としていた。
 現在は、甲骨占卜そのものの性質について調べているところであるが、初期には純粋な占いとしての要素も残っていたが、中後期には王の行動を承認させる手段という意味が強くなっており、甲骨占卜が一種の儀礼という形で政治的に利用されるようになっていたようだ。
 要するに、殷王朝では政治が様々な面に反映されていたのであり、原始性や純朴さだけで語ることはできないのである。
 これは他の時代についても言えることである。まるで異世界のファンタジーでも見るかのように歴史が語られることがあるが、それでは歴史の本質を見誤ることになる。
 現代は歴史の一部であり、歴史もまた現代と同じく人間の社会である。歴史上に起こったことは現代でも起こりうるし、現代にあり得ないものは歴史上にもあり得ないのである。
(おちあい・あつし 立命館大学非常勤講師)

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