これであなたも幽霊博士

安村敏信

 毎年夏が近づくと、どこからともなく幽霊に関する仕事の依頼が舞い込んでくる。テレビ、雑誌、講演会など、様々な媒体からの申し込みで、春先の仕事をかたづけてほっと一息つき、梅雨の鬱陶しさに気分を滅入らせている頃にそいつはやってくる。まずは電話で、
「えー、〇×と申しますが、実は幽霊画の特集を組もうと思っておりまして……」 といった調子の申し込みがある。おお、今年もまた来たか、そろそろ夏が近づいたな、という年中行事のようになってしまったのは、実はこの『幽霊名画集 全生庵蔵・三遊亭円朝コレクション』を出版して以来である。
 もともと私は妖怪画が大好きだった。日本の描かれた妖怪たちは天真爛漫で楽しげだ。恐ろしげな姿もどこかコミカルで可愛らしい。京都大徳寺真珠庵に所蔵される「百鬼夜行絵巻」など最高に素敵だ、てなことを大学時代、当時の美術史の師匠である辻惟雄先生に言っていたのだが、先生はそれをある時ふと思い出したらしく、この全生庵幽霊画の企画にひきずり込まれてしまったのだ。
 先生本人は妖怪画が好きで幽霊画は苦手だと宣言し、幽霊の仕事からうまくすり抜けてしまい、後に残された私が、幽霊画のめんどうを見ざるを得ない状況にはまってしまったというのが実情だ。
 この本は当初ぺりかん社で企画されたのだが、なかなか進まなかった。そこに現われた大の幽霊・妖怪好きの編集者H女史によって企画がアッというまに進められた。このH女史にまず取り付かれたのが他ならぬ我が師の辻惟雄先生である。監修を引き受けた先生は早速、弟弟子の河野元昭氏を引きずり込み、私も実動部隊として取り込まれた。
 これら美術史方面だけからの考察ではいけないということでH女史は精力的に活躍し、まず近世国文学、芸能史の幽霊博士、諏訪春雄氏を取り込み、ついで、文学から高田衛、延広真治という錚々たるメンバーを集めてしまった。
 このメンバーによる各論は、当時望み得る最高級の幽霊論が集まったことになろう。従って、この一冊で、あなたは幽霊博士になれること疑いなし、といってよい。
 この本を作るにあたって、「四谷怪談」を舞台や映画で取り上げる際、まずはお参りに行って祟【たたり】を避けるのだ、という噂をH女史が仕入れてきて、幽霊画集もやはり、制作にあたってはお祓いが必要だということになった。よく社長が納得したものだと感心したが、出版に関わる者全員が全生庵に集い、鎮魂の法要を行った。
 これで安心。と思った矢先、まず私がカメラマンと全生庵門前で待ち合せ、幽霊画全作の撮影を行おうとしたその朝、事件が起きた。約束の時刻に全生庵に着くと、なぜか門前が騒がしい。私より少し前に着いたカメラマン氏によると、トラックが門前の石柱に追突し、それを毀したのだという。その石柱って、私たちが待ち合せていたポイントで、もう少し早い時間に待ち合せていたら、トラックが突っ込んできたかも知れないのだ。せっかく法要をしたのに、効果がなかったのだろうか、という思いでゾッとしたものである。
 その後、制作は順調に進んだ。ところがH女史によれば、印刷の最終段階でも、何らかの異変があったようなのだが、詳しくは語りたがらない。
 このたび、ちくま学芸文庫に、この画集が収められることとなった。幽霊画を知る手がかりとしては最良の一冊となることは間違いない。この文庫化にあたって、怪異現象がなかったか、編集者に聞くのは忘れてしまった。何もなければよいのだが……。
 この一冊を手にされた方に、一寸だけ注意を喚起しておきたいことがある。本書をあまり湿気の多いところに仕舞い込まないでほしい。
 実は、私の美術館にある一冊の黒い表紙の右端には、ツツッとひとしずく、水滴のようなものが垂れたのか、白い筋が現われたのです。
(やすむら・としのぶ 板橋区立美術館館長)

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