政治の多面性を捉えるために

野中尚人

 大学院の二年目に自民党本部の中に入り、そこで自民党の政治を実際に見聞きしつつ、佐藤誠三郎先生の『自民党政権』執筆の準備をお手伝いすることにした。かれこれ一年半ほど自民党本部に通い、通算して約四〇〇〇時間ほど、様々なデータと格闘した。これが本書につながる研究のスタートだった。
 その時のデータを基礎に、テニス仲間の助けも借りながらいくつかの作業を加えて修士論文にまとめた。随分と長い遠回りだったが、その過程で大切なことが見えてきた。政治の世界というのは、それぞれの社会のミクロ・コスモス、つまりは人間関係のエッセンスだということである。ボトム・アップとコンセンサスの重視や、年功序列型をとりながらも内部での競争が組み込まれた人事の仕組みなどは、自民党政治の世界だけではなく日本社会で広く見られる。「永田町の常識は世間の非常識」と、よく言われるが、実はそうではない。もし違いがあるとすれば、政治の世界は自分でルールを設定できるため、それがより純粋な結晶のようになるからで、世間一般ではそこに多くの「不純物」が混じっているに過ぎない。
 その後フランス留学中に、一年半ほど国会議員の事務所でインターンとして勤務した経験は、彼の地での現実の政治を体感する絶好の機会となった。法案の作成プロセスや議会での審議の仕方、与党と行政との関係など、日本とは全く違うことがはっきりとわかった。選挙のやり方に至っては、衝撃的なほどの違いであった。こうして、帰国後に提出した博士論文は、フランスと比較することによって戦後自民党政治の独特の仕組みとパターンを浮かび上がらせるものとなった。しかし、そこで一つの重要な問題が残された。結局、日本は特殊で、遅れた政治文化に支配されているのだろうか。
 この問いに対するぼんやりとした回答は、早い段階からなかった訳ではない。一九八〇年代以降の学会での論争にも重要なヒントがあった。しかし、自分なりに納得のゆく答えを見つけることは意外に難しかった。表面的な比較のレベルを超えるには、結局、歴史的な制度形成と継承の本格的な比較検討を行うしかない。しかし、歴史家ではない私には何をどう議論するのか、全く雲をつかむような状態だったのである。
 結局、急がば回れということで、イギリス議会史の研究や江戸時代の日本の官僚制に関する勉強が役に立つと気づいたのはかなり時間が経った後だった。むろん、歴史の専門家の方々からすれば、私の議論には問題が大ありだろう。しかし、日本の歴史を普遍的な比較分析の土俵に乗せてみることは今や不可欠だ。また、研究戦略としても大いに有望である。少なくとも、ヨーロッパの議会史を大きく捉え直してみると、日本の経験は大変に重要なことを示しているように思う。それは単に歪みとか遅れとして片付けられるような簡単なものではない。
 本書のアイデアの骨格がこうして出来上がってきたのは、オックスフォードへの留学から帰り、しばらくしてからであった。その時、ちょうど現れたのが小泉政権だった。小泉とは何者か。彼は自民党政治に何をもたらしたのか。これが自民党論をまとめる上で、最後の問いかけとなった。そして、小泉とは、戦後自民党政治の文字通りの終わりなのだという確信を抱くようになったのは、二〇〇七年の参議院選挙の後である。
 政治というのは不思議なものである。一面では、それぞれの社会における人間関係のエッセンスであり、特有のパターンの現れである。しかし同時に、大きな意味での普遍的な側面も持っている。近代化であり、自由主義の発展であり、民主化である。日本政治の複雑さと奥深さは、その組み合わせが独特だという点から生まれていた。しかし、グローバル化と「冷戦後」という時代の大きな変化の中で、歴史的に形作られたこの独特の組み合わせ自体もまた、大きく変容しつつある。本書は、こうした観点から、私なりに戦後自民党政治の仕組みとその意味、そしてその変容をまとめてみたものである。
(のなか・なおと 学習院大学教授)

前のページへ戻る