ノンフィクションの「日本化」

大泉実成

 僕がはじめて佐野さんの作品を手にしたのは、一九九九年に起こったJCO臨界事故でJCOの近くで工場を営んでいた父母が被曝したのがきっかけである。事故直後から母は寝込んでしまい(後に何人もの医師からPTSDと診断された)、父も皮膚病が悪化して入院することになったが、当時の科学技術庁の官僚たちはこの事故では健康被害は出ないのだと言い張った。JCOの親会社である住友金属鉱山と保守政治家たちがこれに同調し、いわば政・官・財が歩調をそろえて健康被害の切り捨てを行った。直情型の父は裁判に打って出たが、司法も聞く耳をまったく持たなかった。
 こうした体験から不思議に思ったのは、なぜこの国ではこのように原子力産業が過剰なまでに保護されているのかということだった。これを知るためには日本の現代史をひもとく必要がある。切実な思いで資料に当たっていき、そこでぶつかったのが日本に原子力発電を導入した正力松太郎という存在と、その正力を描いた佐野さんの『巨怪伝』だった。
 それはおそろしく面白い本だったが、それ以上に驚いたのは、佐野さんの事実を調べ上げる圧倒的な力と、その事実を現代史の中に編み上げていく知識の厚みであり、見識であった。
 僕もかれこれ二〇年以上同業をしているので、この本の一文一文にどれだけのエネルギーが傾注されているかは、ある程度は推測できた。しかし、同業者だというのに、ではいったいどうすればこのように完成度の高い作品を練り上げることができるのかは、およそ見当もつかなかった。
 その創作の秘密の一端がこの本で今回公開された。
 随所に参考になる知識がちりばめられているのだが、作品を練り上げるという点では、佐野さんが作品の成立過程をワインの熟成過程に擬して語られているのが印象深かった。取材で集めた膨大な資料をすべて仕事部屋に広げ、バード・アイから俯瞰することで、自分の中で物語が動き出す瞬間を待つ。佐野さんはこれを「葡萄を足で踏みつぶし、熟成を待つプロセスにたとえられるかも知れない」と述べている。その資料を分類して段ボール箱に入れ、発酵を待つ作業が「樽詰め」、この樽から資料を取り出し、さらに小分類する過程で余計な資料をよけたり、足りない資料を加えたりしていく作業が「瓶詰め」と呼ばれている。
 僕のようなレベルの実作者でも、何かの理由で作品づくりが進まなくなり、四苦八苦しているうちに素材が発酵し、よりレベルの高い物語に生まれ変わるということはごくまれにだが起こる。しかしこれはサルが葡萄をめちゃくちゃ踏んづけていたら酒になったという類のお話である。いわば無意識のうちにそうなっていたということなのだが、佐野さんはその工程をはるかに意識的に自分の作品づくりの中に組み込まれていた。佐野作品がなぜあのように完成度が高いのか、その秘密の一端を垣間見たように思った。
 ここ数年、僕は「ノンフィクションの日本化」という視点から、同業諸先輩がたの仕事を読み直している。我々の先輩たちは一九六〇年代にアメリカで起こった「ニュージャーナリズム」に大きな影響を受けているが、それが日本という土壌で展開される上で不可避的に「日本化」が起こっている。たとえば沢木耕太郎の自分が見たものだけを書くという「私ノンフィクション」という方法論は、私小説や自然主義文学の伝統が強い日本の風土と切り離せないものであろう。
 佐野ノンフィクションの深化、日本化のキーになっているのは、この本でも取り上げられている宮本常一の『忘れられた日本人』(岩波文庫)をはじめとする民俗学とのかかわりであろう。論ずるほどまだ僕の問題意識は熟していないのでこの点は示唆するにとどめるが、佐野さんの日本語が時折見せるしっとりとした情感や、この本の全編を通して貫かれている“小文字”の言葉に対するこだわりは、いずれも民俗学への深い傾倒から磨き上げられてきたものだと思う。
 幸いなことに、先日佐野さんから親しくお話をうかがう機会があった。手酌で酒を飲みながらのその語り口が、下町育ちの人らしい軽妙さで何度も吹き出した。「うちの親父というのは東北出身で、ただもう働くしか能がないような人間でしたね」という言葉を聞いたとき、軽妙な語り口の下にある、鈍重で、頑固で、誰になんと言われようと自分が納得するまで粘着的に事実を追い続けるもう一人の人間が見えてきて、「ああ、俺は今佐野眞一と話しているんだなあ」とつくづく思った。
(おおいずみ・みつなり ノンフィクション作家)

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