マムシはおいしい

服部文祥

「サバイバル登山家」という肩書きで生きることになってしまった。身から出たさびではあるが、強く欲したわけではない。二〇〇六年に出版した自著のタイトルそのままである。
 登山を志すひとりとして、ヒマラヤの岩壁を単独でスピード登山するようなアルパイン・クライマーになりたかった。死地を切り抜けてきて、それを気の利いた原稿にして発表したら、格好良すぎる。
 難易度がそれなりに高い登攀(とうはん)をして、まあまあうまくはできたのだが、そこに憧れ以上の魅力を感じることができなかった。死ぬのも怖かった。で、私が代わりに何をしたかというと、サバイバル登山である。
 朝は焚き火を熾(お)こすことからはじまる。
 火があがったら、お茶を沸かす。そして、それを飲みながら米を炊き、朝用に残しておいた食料を調理する。おかずは、山菜や焼きからした岩魚などだ。
 朝食が終わったら、出発。サバイバル登山は、人の手がはいっていない大きな山塊を自分の力で旅していくことを目的とする。午前中は山や渓を歩きつづける。基本的に行動中は食事をしない。休憩ついでに釣った岩魚を捌(さば)いて食べたり、生で食べられる山菜を見つけたときに口に運んだりする程度だ。
 午後になったら——とはいっても、時計は持っていないから、おおよそそのくらいという感じだ——その日のねぐらを探しはじめる。宿泊地の条件は、まず安全な平地であること。きれいな水が簡単に汲めて、薪(まき)が多ければなおよい。タープ(雨除けに使う防水シート)を張る立木が生えていれば、屋根作りは楽になる。
 宿泊地を決めたら寝床を整地し、薪を集めて、焚き火を熾こす。火が熾こったら、ナベをかけてお茶を沸かし、米を炊く。一息ついたら釣ってある岩魚を捌き、集めておいた山菜やキノコを調理する。
 岩魚の刺身や、ウド炒めをおかずに夕飯を食べたら、もうやることはない。余分な岩魚が釣ってある場合は、ワタを出して塩コショウして、焚き火の近くに吊るし、薫製にする。日があるうちは、地図を見て、翌日の予定を立てたりする。
 そして、翌朝用の薪を念のためタープの下に入れて、焚き火を見ながら眠ってしまう。
 こんな一日を繰り返しながら山旅を続けていく。最小限の装備と食料を背に、生活と食事のできる限りを山の恵みで賄(まかな)う登山、それがサバイバル登山だ。
 憧れのヒマラヤのような美しさも格好良さもない。行為は生臭く、行為者は煙臭い。
 時には予定していた食料が調達できないこともある。岩魚も山菜もキノコも都合よく私を待っていてくれるわけではない。カエルやヘビを食べることもある。持参した塩を、持参した米にかけるだけの夕食もある。
 カエルもヘビも味は鶏肉に似ている。特にマムシは山ウナギといわれるだけあって、コクがあってうまい。ヘビを食すコツはそのまま焼いたり煮たりせず、平らな石の上で骨をよく叩いてやることだ。カエルは四肢があるので姿形が人間に似ている。それだけで岩魚やヘビには感じない同情心が湧いてくる。
 どちらもサバイバル登山を通して知ったことである。体験を通して実感したと言っていい。
 そんなサバイバル登山のエッセンスを煮詰めて抽出し、現代の我々の生活とリンクする部分を作品としてまとめてみた。それが『サバイバル!』である。
 皆さんぜひ読んでみてください。立ち読みでいいです。不景気でしょうから。
(はっとり・ぶんしょう サバイバル登山家)

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