希望としてのクレオール

柴田 翔

クレオールとは異る言語を使う集団間で便宜的に使われる言葉・ピジンが母語となったもの。そこに自由の原理を見、「過激な常識」で世相を読む、好エッセイ。

希望としてのクレオール
  • シリーズ:単行本
  • 1,708円(税込)
  • Cコード:1095
  • 整理番号:
  • 刊行日: 1994/03/25
    ※発売日は地域・書店によって
    前後する場合があります
  • 判型:四六変判
  • ページ数:232
  • ISBN:4-480-81349-7
  • JANコード:9784480813497
柴田 翔
柴田 翔

シバタ ショウ

1935年生まれ。作家、ドイツ文学研究者。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。1964年に『されどわれらが日々――』で第51回芥川賞を受賞。以後も作家活動の傍ら、東京都立大学、東京大学文学部でゲーテを中心にドイツ文学を教える。1995年から10年間、共立女子大学文芸学部教授として、演習「詩を読む」などの授業を担当した。著書に『贈る言葉』、『突然にシーリアス』、『記憶の街角 遇った人々』(筑摩書房)、『詩に映るゲーテの生涯』(丸善ライブラリー)、『詩への道しるべ』(ちくまプリマー新書)、訳書に『ファウスト』(講談社文芸文庫)などがある。

この本の内容

女優の写真集、若い女性の話しぶり、家族について、汚職について、そして私的な記憶に関して…。このエッセイすべてが常識の視点で説かれている。だがそれは〈過激な常識〉なのである。現代を深くまた解りやすく説くエッセイ集。

この本の目次

不定点観測(歴史のなかの進退
時代の感受性のパターン
理想の決着
人文学へ国家資金を
自負と挑発―90年代の気分
雑種文化の可能性 ほか)
迷路散策(死ぬ時の心配
リクルート疑惑雑感
少数者への配慮
上海列車事故と石原発言
放置自転車に映る日本
テレビ・カメラの力
眠る家族 ほか)

読者の感想

2008.7.16 みさみさ

教科書で読みました。
ピジンなどという言葉も知りませんでしたがとても興味深くおもしろかったです。

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