おうの 鈴木真一撮影 明治初期 鶏卵紙
もとは下関の鼓楼の遊女で、源氏名は「此の糸」。明治元年(1864)高杉晋作が身受けし愛妾となる。慶応3年(1867)、肺結核により28歳の若さで新作が没するまで生涯を共にする。新作の亡きあと、おうのは得度しないまま剃髪して「梅処尼」となり、墓を守って一生を終えた。