──この物語の冒頭に、「これは、戦わないかたちで、自分たちの大切なものを守ることにした、世界の片隅の、ある小さなクラブの記録であり、途中報告書だ」と書いてあります。これまでのほとんどの物語は戦うことで問題を解決したり、読者にカタルシスを与えたりしてきました。だから、書き手にとって、貴重な切り札を使わないで物語を組み立てようというのは、無謀な試みのような気もするんですけれども。
天童僕自身、無理に物語を書かなくてもいいというぐらいの気持ちでもあったんです。傲慢な言い方になるんだけれど、それぐらいの気持ちを持たないと、何かが空回りしていくような気がしていたんです。
いろんなことで傷を受けたり、生きづらさを感じている人たちがいるということから、世界を広く見たり、あるいは歴史を見たりしていくと、ある意味では、社会そのものが物語に見えたんです。この世界を動かしているのは、実は物語じゃないかと。
誰かヒーローがいて、悪い人をやっつける、あるいはヒーローが平和や幸福を打ち立てていくとか。小さな物語でも、ヒーロー、ヒロインがいて、恋愛を成就したりする。結構、それが人生の勝利みたいな雰囲気を匂わせている。実はそういう物語がどこかで、人を息苦しくさせたり生きづらくさせているんじゃないかなという感触を、ずっと持っていたんです。何も、戦うことすべてを否定しようとは思わないけれども、そういうことに対して逆のものを提示する物語も必要ではないかと。ですから、ヒーロー、ヒロインを作らない物語、戦わない物語を書きたかったんです。
──そういう理念みたいなものだけでは、お説教になってしまって、物語としては盛り上がりが少なくなってしまいますよね。
天童それを書いたら評論になっちゃうし、つまらない。やはり物語がいちばん届くと思っています。では物語とは何かというと、生きている人間の葛藤です。登場してくる人物たちが活き活きとして葛藤して、その姿から自然と伝わってくるものが、いま言ったようなテーマでなかったら、まったく物語としては成立しない。始めからの意図も、それこそ壊れてしまう。
──『包帯クラブ』では、登場人物たちの、十何年後の視点を入れています。それを読むと、小さな物語の背後に、ものすごく大きな世界を予感させられますね。
天童改めて構成を検証し直してみたときに、あれがなければ、この物語は成功しなかったなと思いました。
いまだけの物語ではなくて、ある時間を経過した同じ人物の視点が入っているということで、小さい物語なのに大きく感じる。読者への信頼もそこに生まれているなという気がします。時間が飛ぶわけだから、その時間を埋めるのは読者です。ある人物の十数年後の視点が入ってきたときに、読者がそれを読むと、想像力が広がって、「こんなことがきっとあったんだ。あんなことがあったに違いない」というのを誘引するようなものが多々あると思いました。そこにもう一つの物語が成立している。それはとてもいいなと思っています。
──『永遠の仔』は作品として完成しているので、続編が書かれることはありえない。それに対して、『包帯クラブ』の場合、先につながっていく予感がするんですが。
天童そうですね。たぶんロングランできる内容のものかなという感覚はあります。読者からどんな声が返ってくるかによるんですが、育ててもらえる可能性はすごくある。背中を押してもらうことによって、いかようにも成長しうる物語の根っこが詰まっているなという気がしています。
今回の『包帯クラブ』は現代の、ある数カ月の物語です。それが、次には十何年後をいきなり舞台にしてもいいし、あるいは次の年の重要な時期が物語になることもありうる。主人公のおばあさんの満州時代の話がいきなり出てきて、それが『包帯クラブ』の理念とも重なっていたりすれば、十分このシリーズのなかで通用していく。それこそ人生や社会と同じで、いろんなつながり方をしているということを、この物語を通してまた提示できる。
そういうのは単行本などでやるのは難しい。読者にとっても手に取りやすくて、何をしても多少自由だよという、小回りがきく「ちくまプリマー新書」のようなところだからこそできると、いまは感じています。
──『包帯クラブ』を書いたことで、これから先の執筆に何か変化はありますか。
天童いい影響が出てくるんじゃないかなと、僕自身は予感しています。読んでくださるとわかるけれども、かなりお馬鹿なことを書いているし、笑いみたいなものにも、結構こだわった。なかには滑っているのもあるんだろうけれども、逆に僕はそういうのも残したかったんです。
どうしても天童荒太というものに、硬いとか、重いとか、しっかりしているみたいなイメージがついている。だから、「天童もこんなお馬鹿を書くんだ」ということも、一つのメッセージになると思ったんです。そういう作品があることによって、別の、また重い真摯なテーマや作品も受け入れられやすくなるし、僕も届けやすくなる。
肩の力の抜き具合も、力の入れ具合も変わってくるんじゃないかな。読者との関係性も、硬直しかけていたものが、もっと緩やかな柔軟なものになっていく可能性があると思っているところです。
