さらに成長していく物語

 こうして、2007年の新年を迎えました。1月9日、赤坂氷川神社にこの映画製作に携わる会社の人たち、監督以下スタッフの人たち、中心的なキャストの人たちが集まり、神主さんからお祓いを受けました。厳粛な雰囲気のなかに、新しいものを生み出そうという熱気が感じられました。
 ぼくは、この日、列席できなかった天童さんからメッセージを預かっていきました。
「傷つけられたら仕返すのではなく、傷を受けた場所に包帯を巻く……そんな光景が広がれば、この星は変わる。奇跡の第一歩が今回の映画化で踏み出された。世界の空にひるがえる包帯のシーンを想うだけで胸が熱くなる。」
 1月11日、朝7時、高崎市の郊外、高圧電線用鉄塔の真下で、高崎名物のダルマに目が入れられ、映画「包帯クラブ」はクランクインしました。ぼくは参加できませんでしたが、その場に立ち会った人に聞くと、合宿の成果があらわれて、初日からいい感じのチームワークができているということでした。
 堤監督は、基本的に脚本に従って順撮りしてゆき、約1カ月で撮影を終えるということでした。合宿といい、こういう撮り方といい、若い出演者たちのテンションを、いいかたちで高めていって、その自然な勢いをとらえていくつもりなのでしょう。こういう青春映画にはふさわしいつくり方だという気がしました。
 1月16日、天童さんとぼくは高崎に向かいました。まさに佳境に入っている撮影現場を訪問するためです。新幹線に乗り込んだぼくたちには、何の心配もありませんでした。これまでに、何度か自分が編集した作品の映像化の話を受けてきましたが、紆余曲折することの方が多く、こんなにスムーズに気持ちよく実現に向かって進んでいったというケースはまれだったということもあります。その過程で、ぼくたちが本というかたちで表現したメッセージが、たしかに伝わっているという感触をもてたということも大きいでしょう。
 高崎に着き、烏川の河川敷にあるグラウンドに向かいました。そこでは、サッカーゴールに包帯を巻き、それを写真に撮るシーンが撮影されていました。モニターなどが並んでいる青テントから堤監督が出てきました。柳楽さん、石原さん、貫地谷さん、田中さんなどの出演者たちも集まってきました。彼らは、部活の合宿に来ているような感じで、お互いに「ワラ」とか「シオ」といった役名で呼び合い、活き活きと演技していました。
天童さんも終始ニコニコと楽しそうに彼らと話していました。
 柳楽さんに、「関西弁はうまくなった?」と尋ねると、「はい、大丈夫です」と力強く答えて、ニコッと笑ってくれました。石原さんに、「天童さんってどんな印象?」と聞くと、「チョーかっこいい」と目を輝かせました。
 堤監督が、「これまで撮ったもの見ます?」と言います。ラッシュのような断片的なものかと思っていたのですが、すでに仮編集されて音楽も入っている、本編そのままのものでした。これは、日本映画界では堤監督以外はほとんど採用していない方式だからできることなんだそうです。ハイビジョンで撮影したものを、青テントのなかの編集機でどんどん編集していくのです。
 ファースト・シーンから映像の美しさ、柳楽さん、石原さんなどの活き活きとした演技に惹きつけられました。また、ハンバート・ハンバートのアコースティックな音楽が切なく胸に迫ってきます。そして、ワラとタンシオがブランコに乗りながら話すシーンでは、撮影途中のものを見ているというよりも、完成した映画を見ているような気分になって、天童さんもぼくもウルッときたのです。ぼくは、「これは素晴らしい映画になる」との確信をもつことができました。
 その後、天童さんの希望で、高崎市内の撮影予定地をめぐりました。ワラの住んでいる団地、ディノと出会う病院、クライマックスシーンとなる市庁舎、ラストシーンに出てくる橋などです。天童さんは、「彼らの演技を見たり、こうしてロケ地を回っていると、ぼく自身が挑発を受けているような感じがする。次の作品のイメージがふくらんできたよ」と嬉しそうに話していました。
 夕方、この日の撮影を終えた堤監督と夕食をともにしました。まったく気取りのない話しぶりながら、自分がつくろうとするものに気持ちいいほどの自負をもっている。職人気質の監督らしい素顔がうかがえました。お世辞ではなく、こういう監督に撮ってもらってよかったと、あらためて思いました。