屋上がえり 屋上エッセイ番外編

 ミックスナッツの徳用大缶をぶらさげて、遊びに来た。
 エレベーターのまえに、ダンボール箱がおいてある。ふたに、ご自由にお持ち帰りください! 総務、と書いてある。
 柿は、二日酔いにいいので、買い物かごにぎゅうぎゅうに詰めて、ふりむく。どうぞどうぞ、お好きなだけ。エレベーターを待っていた男のひとは、太っ腹だった。大宮の倉庫に柿の木があって、そこから持ってきたものでしょうといった。
  柿の木も本も実りし筑摩書房   金町

 このビルの屋上は、三年ほどまえにいちどのぼっている。
社員はふだんあがれません、なんにもないですよ。そんなふうに、のぞかせてもらうと、ほんとうにさっぱりしていた。あのときは、ぐるぐる二周しておりてしまった。
 きょうは、あがるなり声をあげた。まんまるの夕日があった。ビルの波に、ゆっくりと沈んでいくところだった。

 筑摩書房ビル屋上、摂氏16℃。塗装工事のあとで、ますますさっぱりしている。天気のかわりめで、風が強い。雲ゆきもあやしい。
 幹事さんは、ビールでは寒いだろうからと赤ワインをついでくれた。本ができた打ちあげの乾杯をする。コンクリートの床にしかれた、ウルトラマンもようのビニールシートがばりばり風にはためく。
 江戸通りに面したふちにつかまり、のぞきこむ。
 きっちり九十度したの歩道を、自転車がゆらゆらといく。じょうずにかっ飛ばしていく新聞配達のお兄さんも、うえからみると、細かく揺らいで均衡をとっているとわかった。四人ぶんのつむじを追いかけると、乗りもの酔いのように、喉もとがむかむかしてきた。
 大通りの信号を渡るひとたちは、手の振り歩幅がしぜんとおおきい。背広のひとたちがつぎつぎ渡ると、ビートルズのようだった。
 二台のバスが、信号待ちでならぶ。観光バスは、都バスの1・5倍長い。バス停にあかりがつき、車がライトを照らし、星より多い窓が、蛍光灯で塗られる。
 いちばん明るいのは、八重洲のあたりで、そのつぎは錦糸町だった。佃島、日本橋、法政大学、あちこちの屋上で見覚えたビルが、暮れていく。
 おわりかけの夕焼けは情念一路、ワインより赤ぐろい。不忍のあたりには、帯雲がある。雨が降りはじめたのかもしれない。
 それでは、こちらが川ですね。ふりむくと、目の高さに、デルモンテトマトの看板があった。

 ……あのうしろをまっすぐいったあたりが、花火大会の第二会場なんです。トマトのうしろからあがっているのが見えます。
 かさなるビルのすきまを、首都高速がつないでいる。乗っかっている車やトラックは、ここにコンパスの針を刺し、つーと円を描くようつぎつぎカーブしていく。流れていくさきの浅草は、アサヒビールのてっぺんの泡とビューホテルしかわからない。
平日の浅草はさみしい。おりたら応援にいく。
 ふちにつかまる手の甲に、ひとつぶあたった。うす緑の、羽虫が飛ばされる。
 蔵前一帯は、街灯のオレンジに染まっていた。この色を見るたび、てらてらの鶏の丸焼きがあたたまっている肉やの箱を思い出す。甘からい、あぶらっぽいものが食べたくなる。
 となりのとなりのマンションのベランダのぜんぶに、洗濯機がおいてある。黄いろいふとんを干したままの部屋がある。
 マンションのうしろの建物は、三分の一ぐらいの高さで、のぼれない平たい屋上だった。しろ、ピンク、あおい洗濯ものが飛ばされ、落ちている。ちいさい室外機がみっつある。
 むかいのビルは、筑摩書房とおなじくらいの高さだった。
 うえから二番めの窓に、大量のくだものがある。このへんは、おもちゃや人形の会社がおおいから、ほんものではないかもしれない。このビルのまえにもバス停があった。着ぶくれたふたりが、ベンチで待っている。
 めずらしく鍵があいていると、下の階からひとがいくたりかのぼってくる。そのたび、乾杯した。
……あのへん、きれいねえ。うちもいい会社じゃないのー。
……非常のときは、この輪っかに縄結んで降りるんだわ、こわいわねえ。
 顔を出したひとたちは、通いなれた会社の屋上を、めずらしそうに歩きまわっている。

 揚水管、給水管にならんでいる細いはしごによじのぼる。
のぼりきると、足もとのひとたちは、心配そうな声で、なにが見えると聞く。
 はじめてここにのぼったときは、見どころがわからなかった。なんにもないから、なんでもおもしろいと知らなかった。
 みんなありました、きれいでした。はしごをおりて、そういった。