詩人や詩を愛好した人士で、前思春期から青春期にかけて立原道造の詩の世界を通らなかったものは、たぶん皆無に近いとおもう。そのことで現代詩最後の古典だった。朔太郎も「風」、ドイツ浪漫派の巨匠ヘルダーリンもノヴァリスも「風」というこの詩人にあやかって言えば、立原道造の詩もまた「風」のように自在に、しかも地面に触れずに物象や事象に滲みとおってゆく距離感を手に入れていた。この距離感は、日本古典詩形の円熟期のアンソロジー『新古今集』からえたものだと思う。

立原には新古今時代の才女式子内親王の「ほととぎすそのかみやまの旅枕ほの語らひし空ぞ忘れぬ」の Nachdichtung (後追い歌、つまり本歌取り歌)と副題された詩があるが、これは『新古今集』第一の歌人西行の「ほととぎすそののち越えん山路にも語らふ声はかはらざらなん」の Nachdichtung に違いない。
冒頭の句「ほととぎす」が第二句「そのかみやま」で「以前に行った神山もうで」に二重化され、第四句から最終句にかけて、ほととぎすとの語らいが作者自身の恋人とのひそかな語らいの意味に二重化されて終わる。この含みと距離感が、朔太郎以後の現代詩と古典詩形とを架橋させた立原道造の詩の、もう一つの古典としての意義だと思える。

定型でありながらなぜか非定型とのあわいにあるように感じられる立原道造のソネットからは、「憧憬」と「悲哀」と「喪失」が宙に浮かんで音符になったかのような旋律が聴こえてくる。
何に対する憧憬か、何ゆえの悲哀か、何ものを喪失したのかどこか曖昧で、だからすべての若者の憧憬と悲哀と喪失と共鳴しあうことのできる魔法の旋律。

しかし、やがて人はその旋律を聴き取ることができなくなっていく。かつて間違いなく聴こえていたという記憶だけを鮮烈に残しながら。そして、それは、自分の中の最も柔らかいところにあったはずの、存在することの根源的な不安を失ったということでもあるのだろう。
低い枝でうたっている青い翼の小鳥、さびしい足拍子を踏みながら草を食んでいる山羊、追憶のように家々の屋根に降りしきる火山灰……。
いま立原道造を読み返すことで、人は、いや私は、ふたたびあの旋律を聴き取ることができるようになるのだろうか?

道造は製図板のうえでスケッチするように詩をかいていた、と同級のどなたかから聞いていたことがヒントになって、私は道造の詩碑を軽井沢高原文庫の一隅にデザインした(一九九三年)。 東大工学部建築学科で新入生に貸与されていた桧の製図板と同じサイズのチタニウム板に自筆の詩を彫りこんだ。図面にむかったように、ちょっとだけ傾けてある。

道造は詩人であると同時に建築家だった。高原の澄んだ空気のなかに芸術家村を構想しながら、これをもっとも尖鋭な哲学によって理論化もできていた思想家でもあった。こんな道造の仕事の全貌が、新しく発見されたスケッチや論文とともに、今回の全集に組みこまれている。
詩から小説へ、小別荘から壮大な建造物へ、エッセイから精密に構成された建築論へ、これまで結びつけられて語られることの少なかった道造の文学から建築へ架橋する魂のありかが浮びあがることだろう。長い間待たれていた全集である。

十三のころ、道造の詩に出会った。繰り返し読んだ詩は数篇だが、その少ない数篇に再会すると、今でも胸が一杯になる。夢中になったという記憶はないのに、詩は、深い懐かしさで、心をたたく。
彼の詩はどこか言葉の「まつげ」を思わせる。「目」ではない。おしゃべりな「口」でもない。自我的な「鼻」でもない。それはまつげだ。

詩の中心には、風景を写す無機的な心臓部=瞳があって、言葉はその周りをやさしく群舞する。幽かに震えるまつげのうごきで、わたしたちは、歌う「感情それ自体」を察知するのだ。狭い限られた言葉で作られているのに、いや、だからこそ、そこにはメロディーさえも持たない純粋音楽が鳴っている。
道造の詩を読んだあとは驚くほど何も残らない。その詩は「意味」という言葉の燃料が、きれいに消尽されたかに見えた後、なおも燃えて立つ「青い火」なのだ。不思議な生命力だなあとわたしは思う。


立原道造全集パンフレット

無心に発せられた言葉の輝きにみちた書簡

立原道造全集 第五回配本 第五巻
9784480705754 定価:本体13000円+税

立原道造全集 第一巻
9784480705716 定価:本体7600円+税

立原道造全集 第二巻
9784480705723 定価:本体8400円+税

立原道造全集 第三巻
9784480705730 定価:本体7800円+税

立原道造全集 第四巻
9784480705747 定価:本体12000円+税

立原道造(新装版)
4-480-82359-X 定価:本体2400円+税

設計図「小住宅」(1937年)

  • 三十五年ぶりに原資料に当たり直した新編集による決定版
  • 初めて建設図案、色彩画、デッサンなどの写真図版を豊富に収録し、建設家・造形家・意匠家としての立原にも光を当てた
  • 旧全集に未収録の詩篇、随想、日記、中学時代の作文、小学時代の戯文などを新たに収録
  • 詩・物語・随想・翻訳については、生前に自らの意思で発表したもの(1)と未発表のもの(2)に区分し、それぞれ年代順に収録した
  • 生前未刊行の創作ノートなどでは、歌稿の推敲の併記は原文の形をいかして再現し、一部の原文の抹消も註記の上起こした
  • 漢字は新字を原則とし仮名遣いは底本のママとした
  • 書誌・語註・校異は解題中の各項に記した
  • 特に難読の漢字には編者によるルビを付した

二冊の詩集『萱草に寄す』『暁と夕の詩』をはじめ、生前に発表された詩篇、詩作と並行して書き続けられた物語作品、旧制中学から高校時代までの短歌、中学時代の短期間に発表された戯曲、後年のわずかな俳句、など、発表されたすべての創作を収める。

詩1
 詩集
  『萱草に寄す』
  『暁と夕の詩』
 詩篇
  「風のうたつた歌」「風に寄せて」「傷ついて、小さい獣のやうに」「雲の祭日」
  「ゆふすげびと」「ふるさとの夜に寄す」「何処へ?」ほか 
短歌・俳句
物語1
  「あひみてののちの」「間奏曲」「メリノの歌」「ちひさき花の歌」
  「かろやかな翼ある風の歌」「鮎の歌」「物語」ほか
戯曲
  「或る朝の出来事」ほか

わずかな友人などに手渡された四冊の手書き詩集、浄書に近い状態で残された詩篇や草稿詩篇、物語作品、など、第一巻に対応する未発表のすべての創作を収める。

詩2
 手書き詩集
  『さふらん』
  『日曜日』
  『散歩詩集』
  『ゆふすげびとの歌』
 詩篇・草稿詩篇
  「噴水」「八月の歌」「優しき歌」「[夢みたものは]」「午後に」「樹木の影に」
  「[なぜ窓から外に]」「[南国の空青けれど]」ほか 
物語2
  「やぶけたローラ」「[生徒の話]」「夏の死」「ホベーマの並木道」「[緑蔭倶楽部]」
  「貧乏の死」ほか

早すぎる晩年の、盛岡と長崎への旅にかける自らの想いを綴った二つの紀行を含む内面の手記、評論・エッセイ・編集後記など幅広い散文を含む随想、短歌や詩や夢日記などの創作ノート、および昭和二年と五年の日記を収める。

手記
  「[火山灰まで]」
  「火山灰」
  「[盛岡紀行]」
  「[長崎紀行]」
随想1・2
  「愛する神の歌」「追分案内」「夏秋表」「風信子」「追悼」「芳賀檀氏へ」
  「遥かな問ひ」「別離」「風立ちぬ」ほか
創作ノート
  「自選 葛飾集」
  「自選 両国閑吟集」
  「「水晶簾」詩稿」
  「[文集ノート]」
  「[一九三三年ノート]」
  「[一九三四年ノート]」
日記

若くして嘱望された建築家としての全貌を明らかにする建築図面、幼少からその才能を発揮していたパステルなどによる彩色画、各種ノート中のデッサンとタウトの講義ノート、建築評論のすべて、唯一の翻訳書『林檎みのる頃』とその他の翻訳、ノートやスケッチブックからとった採録文、および断片的な拾遺文や中学作文などを収める。

建築図面
「卒業設計《浅間山麓に位する芸術家コロニイの建築群》」「或る果実店」「即日設計・ガソリンスタンド」「豊田氏山荘新築工事」「秋元邸新築工事設計案」「体育館 水泳場及び氷滑場」「温泉旅館」「某病院計画案」「HAUS・HYAZINTH」ほか
彩色画
  「[弟の顔]」「[紙芝居]」「[二匹の魚]」「[飛行船と汽車]」「[信濃追分にて]」ほか
デッサン
建築評論
  「建築衛生学と建築装飾意匠に就ての小さい感想」「住宅・エツセイ」「方法論」
  「「浅間山麓に位する芸術家コロニイの建築群」付言」
翻訳 1・2
  『林檎みのる頃』ほか
採録文集
拾遺文集

若くしてなくなったにもかかわらず厖大な量の残された書簡を、旧全集未収録のものを増補して集成、生涯の生活史と作品の制作・発表歴と時代史を読みやすく見やすく表示する年譜、索引などを収める。

書簡
座談会
  現代詩の本質に就いて――四季座談会(萩原朔太郎、三好達治、丸山薫、神保光太郎、立原道造)
  『測量船』に就いて――現代の詩集研究Ⅰ(神保光太郎、津村信夫、立原道造)
解題
名宛人註
書簡索引
年譜 ほか

*[ ]は無題のもの