とりつくしま 発刊記念対談 穂村弘+東直子 あなたはなにを、とりつくしまにしますか?

 「とりつくしま」の連載中、いろんな人に、何をとりつくしまにしたいか聞いたんです。穂村さんにも。
穂村 ぜんぜん覚えてない。なんて答えたの?
 すごく熟考して、まったく思いつかないって。
穂村 そうだろうね。答えてたら覚えてるはずだものね。今日も考えながら来たんだけど、やっぱりすごく答えたくない質問なんだという感じがして。
 あ、答えたくないんだ(笑)。
穂村 たぶん。

穂村 日本人にわりとポピュラーな概念として成仏というのがあるでしょう。死んでしまったらこの世への執着を断って成仏するとか、いい人も悪い人も仏様になったら一律仏様みたいな。あれと真っ向から対立するアイディアなんだよね、「とりつくしま」って。何になりたいのか答えることは、生き残った誰に対してどのように執着するのかを示すことになる。しかもワンポイントで。それを絞り込むのが苦しかったから、答えられなかったんじゃないかな(笑)。このアンケートでも、絞り込むのが苦しい人の回答は、雪とか風とか土とか。
 消えていくものですね。
穂村 もう一度くっきりとモノになって滅するというのも苦痛だから、なんでしょう、雪になって一瞬皆様にお別れの挨拶をしてさようならみたいな、そういう発想。
 雪は「初雪」でしたよね。ロマンティック。
穂村 それに対して、ほんとうに執着して出来る限り身近で見守るぞ、というのは、苦しいって言うか怖いって言うか。
 そうそう、やっぱりいちばん苦しいのは、恋人関係とか、妻と夫とか。
穂村 うん。夫の眼鏡になってよからぬものを見ようとしたら粉砕とか(笑)。
 ありましたね、アンケートに。
穂村 見ようとするに決まってる(笑)。本では、「トリケラトプス」かな。これがいちばん真っ向からベタに執着して「勝ったと思った」と言ってるわけで。
 この人は、恋人をずっと作るななんて言わないよ、と言いつつ……
穂村 言わないよ、でもこの女だけはやだ、と言いつつ、「勝った、さわって」(笑)。これは苦しかった。このあと、こういうのがどんどん出るのかと思ったらそうじゃなくて、よかったよ。すごいバリエーションが書き分けられていて、感心しました。
 「レンズ」を全体の最後にした以外は、連載の順番通りなんですよ。
穂村 あれは、いちばん苦しくなかったな。はじめからもう未練を断念せざるを得ないところからスタートしていて、あとは、思いがけないいいことが起こるという話だから。死んだあともまだ楽しいことがある。愛情関係でも親子だといいよね。「ロージン」とか。やっぱり、息子を見守るのが少しずつ消えていくロージンなのは偶然じゃないんじゃないかな。息子は恋人や夫とかとは違うから、どうせお母さんなんてロージンみたいなものなんじゃない。やがて老人にもなるし(笑)。
 そうかも。親子はいつか別れるものというのが、前提にありますからね。
穂村 「マッサージ」もよかったな。お父さんがお父さんをマッサージするというのが、無理なく受け入れられました。
 男の人を主体にすると難しいかなという感じがあって、うまく書けたかどうかなと思ってたんです。
穂村 自然な感じで読めたよ。「名前」も。名前っていうか名札にとりつくんだよね。これ、どうせ彼は生きてたって脈無しじゃない(笑)。この人を小雪さんが好きになることはないからね。どうせ脈無しなら、おっぱいの上に乗れるだけ、いい、かな、という感じが、文体ですごく補強されていて。本当にこういう人がしゃべるだろうと思われる文体とも違っているんだけど、でもすごく、説得力があるよね。「お胸の上に」とか(笑)。へんな日本語だなあと思いつつ、なんかすごく納得がいく。