TSUNAMI 発刊記念エッセイ

沖縄でのふれあいは、僕の原点。──志賀泉

沖縄が、僕に『TSUNAMI』を書かせた。

そのいちいちをここに書くゆとりはないので、『TSUNAMI』に関係することだけを書く。

ユタに会うため飛んだ宮古島の民宿で、僕は若い女性と知り合った。偶然にも彼女は、僕の住所(東京)の近所の人だった。彼女は、世界で最高と言われる宮古上布の手織りの技を学ぼうとしていたのだけど、父親の猛烈な反対にあって悩んでいた。言うまでもなく、彼女との出会いが僕に『TSUNAMI』を書かせたわけだ。

また、那覇の民宿ではジュゴン保護活動をしている若いカップルと出会った。それまで僕は沖縄にジュゴンがいることすら知らなかった。彼らの所属する市民団体の女性リーダーが、精神的に問題を抱えている若者たちを沖縄に呼んで面倒を見ていた。彼女がつまり、「橘倫子」のモデルになったわけだ。彼女は東京でリサイクル店を開いていたので、帰京してから会いに行った。

「沖縄に元気をもらったのなら、沖縄にお返しをしなさい」の一言にガツンとやられた。そういう発想って、普通しないよね。

だけど、妙に納得してしまった。だから、僕もジュゴン保護活動に取り組んだ。基地問題に揺れる辺野古で住民といっしょに座り込みにもした。逮捕覚悟で、米軍基地のゲート前でピケを張ったりもしたんだ。(断っておくけど僕は左翼じゃない。右とか左とかと関係なしに、海はあるんだし)

小説中では基地問題にも環境問題にも触れてはいないけど、あの頃の熱い思いがあったからこそ、『TSUNAMI』という小説は書けたのだと思う。

でも本当は、沖縄という土地が、僕にあの小説を書かせたのかもしれない。

本当に書きたかったこと。

人が成長するということ、それは自分だけの力ではできない。自分を超えた力。たとえば自然風土とか、ひょっとすると死んだ人の心にも支えられて成し遂げられるものじゃないか。

僕が『TSUNAMI』という作品を通して言いたかったのはそのこと。そしてそれは、僕が沖縄という土地から教わったことでもあるんだ。

著者プロフィール

著者近影

志賀 泉

シガ イズミ

1960年福島県生まれ。二松学舎大学卒業。十五年間、書店兼ギャラリーに勤務。趣味は、ギャラリーめぐり。『指の音楽』(筑摩書房)で、2004年、第20回太宰治賞受賞。