水辺にて 梨木香歩インタヴュー

──最初にカヤックに出会われたのはいつですか。

 2000年頃だったでしょうか、カナダのアルゴンキン自然公園で乗ったのが最初。ある程度まで車で行くとその先は沼地続きで、野生動物を見に行くにはカヤックしかない、という状況だったのですが、その時に目の前に広がっていた風景、つまり夕暮れの、アビが鳴く沼地の情景が、ずっと以前に『黄昏』という映画で観た、やはり同じような風景の中を主人公のヘンリー・フォンダがボートに乗っている1シーンに重なりました。人生の終盤にさしかかった人が、ごく自然に、まるで自転車ですぐそこまで出かけるようにボートに乗り、葦の茂るウォーターランドを行き来する。私自身は体験していないのにもかかわらず、その情景を観た時から体の深くに折り畳まれるように醸成されていた、うっとりするような、なんともいえない哀切さのような記憶が、アルゴンキンの風景を目の当たりにした時に、響きあった感覚を覚えています。
 帰国後に、カヤックを教えてくれるところを探していて、最初は海へ行ったのですが、そうだ、仕事場がある湖のほとりは日本でも有数のカヌーのメッカだった、と気づいて、そこからは一気に。

──実際にやってみて、どう思われましたか。

 風の強弱や雨の降る確率など、以前には考えられないほど天気予報に敏感になりました。気象の変化がもたらす身辺の空気感の違い、などに。九月に秋の長雨が続いた時など、この長雨が終わったら前線が退いて中国大陸の山々からサーッと季節風が吹き、きっとそれに乗って渡り鳥がやってくる、というようなことが何となく体で感じられるようになりました。
 世界はひとつ、という考えてみれば当たり前のことを、自分の身体感覚レベルで味わう、ということでしょうか。

──カヤックの魅力のひとつは、自然つまり地球と直接コミュニケートできることだ、という感じなのでしょうか。

 実は、ボートを漕ぐのも苦手だったのです。ボートって後ろ向きに進むでしょ。あれがどうもフィットしなくて、途中でわけが分からなくなる(笑)。
 カヤックなら前を向いてまるで自転車を漕ぐように進んでいける。分かりやすいんです。

 山の中を流れる川を漕いでいると、そこは周囲のいくつもの小さな水脈が収斂する「川筋」となっていますから、空気や風の流れもまたひとつの「風筋」となってそこを流れていきます。、秋ならば、キノコが朽ちる匂いや、死んだ小動物がだんだん醸されていく匂い、パンが焼けるようなカツラの木の匂い…そういうものが交ざり合ったすごい情報量の風に取り囲まれる。春ならそれぞれの植物特有の新芽の息吹、花々の匂い。多分それは、山歩きをしていただけではわからなかったでしょう。

──ということは、カヤックはおもにお一人でされていたのでしょうか。

 静水は一人でも大丈夫ですが、川は一人では無理です、私の場合。大勢で漕ぐのには、一人の豊穣さとはまた違う楽しさがあって、それはそれで好きです。それにみんなで楽しく過ごした後に、自分の内部でその体験を繰り返し反芻しながらどんどん深めていく楽しさもあります。
 あんな匂いがした、こんな風景を見た、なんとことを書きつづりながら、それは大勢で共有したことでありながら、個の経験としてもどんどん深まる。それがまた、楽しくて。