さようなら杉浦日向子さん

杉浦日向子さん  一九八二年、「ガロ」からマンガ家デビューして間もない杉浦さんとあった。可愛らしい色白のお嬢さんで、大きな目をクリクリッと動かしながら語る吉原や川柳の話はとても魅力的だった。それからは、読者として、江戸や明治に材をとったマンガ作品を楽しませてもらった。また、編集者として、エッセイ集やマンガ集など、二十数冊の本をまとめさせてもらった。
 八六年、赤瀬川原平さん、藤森照信さん、南伸坊さんたちと路上観察学会を結成したとき、唯一の女性会員として参加してくれた。一緒に各地を旅行したが、町歩きを心底楽しんでいる姿が印象的だった。
 九三年、「血液の免疫系の難病なんです」と告白された。骨髄移植以外に完治する方法はなく、体力的に無理が利かないのでマンガ家を引退することなどを淡々と話してくれた。それ以来、筆を折ることになったが、江戸や明治の生活風俗をていねいに描いたマンガ作品は、今でも燦然と輝いている。これだけ時代の匂いや息づかい、それに気配までをも身近に感じさせてくれるマンガは他に例がない。筑摩書房から出ている全集や文庫に収められた傑作群をぜひ味わっていただきたい。
 九五年、江戸風俗研究家として、NHKのバラエティ番組「コメディお江戸でござる」にレギュラー出演する。江戸の生活や文化をわかりやすい言葉で語る姿は、親しみやすさの中に風格すら漂っていた。ぼくは、彼女と話すたびに、この人は、実は「江戸の人」ではないかと感じていた。そうでなければ、江戸の暮らしを、あたかも身の回りにあることのように気さくに話せるはずはないからだ。
 近年は、病気治療のために休み休み仕事をしていたが、それを「隠居生活」と称し、お酒とそばを楽しんだり、世界各地の船旅に出かけたり、積極的に人生を味わっていた。
 二〇〇三年、難病が緩解しつつあった彼女に、さらに過酷な運命が訪れる。下咽頭ガンが発見され手術をすることになったのだ。昨年三月、ダイヤモンドレディ賞の授賞式に出席された時、久しぶりにお目にかかった。やせ細った姿は痛々しかったが、話してみると、相変わらずしなやかで芯の強い杉浦さんがそこにいた。
 〇四年、再手術をする。術後、あまり時を経ていない今年一月、南太平洋クルーズに旅立った。付き添いなしの一人旅だと聞いて、意志の強さに驚嘆した。こんなに元気なら、回復される日も近いのではないかと淡い期待を抱いていたとき、訃報が届いた。
 振り返ってみると、健康なときも、病いとつきあうようになってからも、まったく変わらずに、生きることを満喫した人だった。そういう意味では、惚れ惚れとするような、粋で格好いい江戸の女だったと思う。

(編集者 松田哲夫)