第34回太宰治賞

第34回太宰治賞 贈呈式が行われました


第34回太宰治賞贈呈式は2018年6月12日、如水会館にて行われ、受賞者には、記念品及び賞金100万円が贈られました。

6月12日(火)、東京一ツ橋の如水会館で第34回太宰治賞(筑摩書房・三鷹市共同主催)の贈呈式が行なわれました。

 最初に三鷹市の清原慶子市長が主催者挨拶を行ないました。
 まず、今回の受賞者である錦見映理子さんについて、1312編という膨大な応募者の中から、見事受賞に輝いた方が、美しい名前にふさわしいたいへん麗しい受賞者であることを讃えられました。
 多感な少女たちがさまざまな大人とのやりとりを経て成長していく、またその過程で大人たちの中にあるリトルガールの魂も見えてくる「リトルガールズ」という作品に寄せて、5月に三鷹市が開催した「憲法を記念する市民の集い」で、恒例の中学生による「三鷹子ども憲章」の朗読の前に会食をした際、男女の中学生たちに趣味をたずねたら口々に「読書です」と答えたエピソードを披露し、この中から将来の太宰賞作家が生まれることに期待をかけられました。

 続いて、筑摩書房の山野浩一社長が挨拶。
 受賞者・錦見氏への祝福のあと、三鷹市との共催として太宰賞が復活した1999年以来、20年の長きにわたり選考委員を務めてこられた加藤典洋氏が今回をもって退任されることに触れ、かつての選考会において、ときにひとつの作品に強くこだわって推薦し、ときに選評がばらばらに割れた際には調整役にまわりながら、賞の選考を常に力強くリードされてきたことへの感謝を述べられました。そして次回の選考会より、第21回の太宰賞受賞者である津村記久子氏が新たに選考委員として加わることを発表しました。
 「昨今、文学はインターネットなどにおされて衰退の一途を辿っていると言われますが、果たして本当にそうだろうかと。というのも、昨年、文藝賞を受賞し、今年、芥川賞を受賞した若竹千佐子さんの『おらおらでひとりいぐも』、また直木賞を受賞した門井慶喜さんの『銀河鉄道の父』はともに宮沢賢治ゆかりの作品と言えますし、宮沢賢治と言えば、筑摩書房は太宰治に次いで、さまざまなかたちでの全集・選集を刊行し、大事にしている作家です。これらはもう古典と呼べるような名作から、まったく新しい言葉を引き出し、新しい視点、新しい世界を見せてくれている、そこが大きな魅力であり、高く評価された所以であって、このように、ひとが文字を使って、ひとの本質を書く営みを続けるかぎり、仮に文学業界は衰退したとしても、文学そのものが衰退することはありえないと思わされました。
 そのような思いを胸に今回の太宰賞受賞作を読むと、ここにも人間の本質――誰かへ憧れる気持ちや裏腹に感じる不安など――がみずみずしく表現されていて、あとで錦見さんが長年、短歌を書かれてきたと聞いて、なるほどと思ったのですが、非常に軽快なリズムでもって、ストーリーが描写されていく、たいへん読みやすい青春小説であると同時に、とても深い本質も描かれている、そんなように感じ、なおいっそう文学を頼もしく思った次第です。
 前回からの一年間を通して、なおいっそう太宰賞の受賞者の方々が活躍されました。今村夏子さんは『星の子』で野間文芸新人賞を受賞、津村記久子さんは朝日新聞金曜夕刊に連載していた『ディス・イズ・ザ・デイ』というサッカーのJ2を描いた快著を刊行されました。また昨年の受賞者・サクラ・ヒロさんの『タンゴ・イン・ザ・ダーク』も昨年十一月に刊行され、朝日新聞の書評に取り上げられるなど、好評を博しました。錦見さんも、きっとこの先輩たちの活躍に連なることと思いますし、その先にいつか太宰賞の選考委員として帰ってきてくれるとこれに優る喜びはありません。その日が来ることを願いつつ、あらためて皆様に錦見さんをご祝福いただけるとありがたいです」と結びました。

 続いて、選考委員を代表して加藤典洋氏が挨拶に立ちました。
「最終候補作4編はいずれも水準が高く、どれが受賞してもおかしくなかったし、実際、各選考委員の判断も分かれたのですが、舞台裏を明かしますと、ぼくが錦見さんを受賞させろといちばん大声を出したんです(笑)。水準の高い候補作の中でも、これは二重丸の出来だと思いました。
 「リトルガール」で何をイメージするかと言うと、ヘンリー・ダーガーのファリックガールズなんです。ダーガーは女性の裸を見たことがなかったとも言われていて、彼が描いた女の子たちにはおちんちんが付いているんです。これは言ってみたら、無敵の状態の人間なんです。誰も好きになる必要がなく、誰も好きになったことがない人間です。リトルガールであることは、無敵であることをやめることであり、それを55歳の大崎先生も、14歳の桃香も、美大生の黒岩ルイ子も心に持っているんですね。中でもいちばん惹かれたのは、桃香の友人である小夜という女の子で、彼女はおそらく女の子が好きで、一方で援交まがいのこともしているような無敵の子なんです。でも、お話の中でその無敵さを捨てていく、それが単なる思春期を描いたというレベルを超えて新鮮さを感じたんです。
 ぜひ、彼女らと同じ世代の子たちに読んでほしいと思います。たぶん、登場人物と同じ歳のひとが読むといいなと思う、そんな小説なんです。そういう光景をそっと後ろから覗き見たような気持ちになって、いちばん強く推したという次第です。」

 表彰状、正賞及び副賞授与のあと、錦見映理子氏が受賞の挨拶をしました。
「『リトルガールズ』を書こうと思った最初のきっかけは、若い30代くらいの知り合いの女性の何人かがツイッターで「恋愛なんか好きじゃないし、したくない」ということをしばしば書いているのを見たことでした。ちょうど恋愛小説を書こうと思っていたので、そういう女性が増えているのだったら困るなと思い、自分が若い頃にはそんなことまったく考えもしなかったのに、どういうことなのかと興味を持って、しばらく彼女たちのツイートを読みました。
 それで彼女たちを理解したとは言いませんし、彼女たちにしても一様ではなくさまざまな考えをもってツイートしているわけですが、私にひとつ感じられてきたのは、彼女たちがこの社会で生きる中でなんらかの抑圧を感じて、そのように言わせているのではないかということでした。異性と付き合う中で、大なり小なり生じる社会的な不平等の感じがいやなのではないかと感じられ、それは私にも理解できる感覚でした。ただ、ひとを好きになること自体がいやなのではないことも感じられ、だったらやっぱり恋愛小説を書こうと思い直して、「ひとを好きになるとはなんなのか」ということを核にして半年かけて書き上げました。
 書いてみて初めて気がついたのですが、結果として誰の恋愛も成就しないものを書いてしまったなと(笑)。これは恋愛小説じゃないなと自分で思いましたが、ではなにかと言われると正直私にもわかりません(笑)。ただ、登場人物のほとんどは絵を描いたり彫刻を彫ったり写真を撮ったり編物をしたり、なんらかの創作に関わっています。私は長い間、小説ではなく短歌を書いていました。小説と違い、短歌を読んでくれるひとは世の中にほとんどいません。どんなに良い歌集でもそんなに売れませんし、世間の価値観とは合ってないかもしれません。でも、大勢が認める価値とは別に、私にとって短歌を読んだり書いたりする幸福は価値あるものでした。「リトルガールズ」に出てくるひとたちも、それぞれに少しずつ世間の価値観と合わない部分を持っているひとたちです。私はたぶんツイッターで恋愛に対する抵抗感を表明していた女性たちに向かって、世間の価値観や抑圧から自由になれる場所をどこかに確保してほしいと言いたくて、この作品を書いた気がしています。彼女たちがこの作品をもし読むことがあって、そのことで少しでも気持ちが軽く、前向きになれたらいいなと思っています。
 「リトルガールズ」は日本語で言えば「小さい女の子たち」で、一般的には取るに足らない存在と見なされます。でも、性別や年齢にかかわらず、ひとの心の中のいちばん大事なところに存在している、そんなイメージでこのタイトルを付けました。そんな「小さな女の子たち」がこの世界に存在してもいいと判断してくださった選考委員の先生方に深くお礼を申し上げます。
 これからも自分がいい小説を書いていけるかどうかは、自分自身にも誰にもわからないことでありますが、賞をいただいた恩は必ず返していかなければならないと思っています。いままで誰にも読まれなくても短歌を書き続けてきたように、これからもあきらめず小説を書き続けていきたいと思います。
 本日は皆様お集まりいただき、本当にありがとうございました。」

 最後に、奥泉光氏による乾杯の音頭で、パーティへと移りました。

 *選評と受賞作、それに最終候補作品は『太宰治賞2018』にて読むことが出来ます。