第38回太宰治賞

受賞の言葉

 この度は、第三十八回太宰治賞に選出いただき誠にありがとうございます。選考委員の皆様、選考過程に関わってくださったすべての方にこころより感謝申し上げます。
 小さな頃から、小説が好きでした。ずっと、小説の力を信じてきました。
 はじめて小説を書いたのは、八歳の頃だったと思います。お台場の海のそばに住む猫の兄妹が旅をするというものでしたが、旅の二日目を書いている時に、彼らのリュックに食糧としてしまっておいたハゼ(三匹)がはたして腐敗しているのではないか、と気が付きました。そこからいろいろの矛盾が判明し、どうしていいのかわからなくなりました。無論、未完です。どうやったら小説になるのだろう、八歳の私は悩みました。
 二十歳前後に短い小説をいくつか書き上げました。耳が異様に聞こえるようになってしまったひとの話や、もう少しで焦がれるそのひとに触れられるという直前になると有無を言わさず時空を超越してしまう話ですが、枠組みにただ気持ち良く収めるように書いていたようにも思います。三十歳頃から、どうしたら自分の書きたいものに近付いていけるのか、どうにかして近付きたい、と強く思いながら原稿用紙百枚くらいの小説を書くようになりました。そして、今年の或る夜に、最終選考に進みました、という連絡を頂戴しました。驚いて、涙が出ました。それから途中のままのお茶碗の白米のつづきを食べ終えると、これまで感じたことのない恐怖を急速に覚えました。それは、たとえ削り出すように、この身を捧げるような気持ちで自分が精いっぱい書いたひとことでも、そのひとことが誰かを、そして自分自身を常に審判することになる、という恐怖です。ただ、自分のために書いてきた小説を、それでも文学賞に送ったことの意味を、私ははじめて、少しそこでわかりました。覚悟を決める、そう思いました。
 ぜんぶ、ぜんぶ、それでいい、とひとりを認め許すこと。そんなひとりのためのものが、会ったことのない誰かをまるごと認め許すこと。疑うこと、見えなかったもの、聴こえなかったものをあらわにしてゆくこと。そうして百年も千年もの時を超えてゆくことのできる小説の力を、信じています。大好きな小説が、たくさんあります。
 いい小説を書きたい、まじりけのないこの気持ちと共に、あの夜に覚えた恐怖を刻み付けて、これからも精進していきます。
野々井透