奇跡の一枚/本郷和人

 本書は、戦後における日本人の宗教生活、精神世界の変容を明らかにしようとするものである。分析の基軸となる要素は三つあり、すなわち、天皇制・祖先崇拝・新宗教(当初は新興宗教と呼ばれた)である。三つは相互に響き合い、戦後の日本人の精神性のあり方に強い影響を与えた。

 太平洋戦争以前、日本は国家神道の統制下にあった。神道は宗教の上位に位置づけられ(神道は宗教にあらず)、天皇は現人神であった。だが一九四五(昭和二〇)年の敗戦によって神道の超越は否定され、天皇は人間であることを自ら宣言する。とはいえ、天皇制は存続し、天皇が祖先を祀ることも制限を受けなかった。明治時代に淵源をもつ国家神道の根幹は、靖国神社とともに引き継がれていく。一方で「信教の自由」が強調され、様々な新宗教が力をもち始めた。
 一九五〇年代に入ると、日本経済は急速に成長していく。この高度成長期、戦後宗教史上、もっとも大きな事件が起きる。創価学会の急成長である。この時期、地方で家を継げなかった人々が、仕事と雇用が生まれた都市部に大量に移住した。彼らを信者として躍進したのが日蓮宗系の新宗教、とくに創価学会であった。信者の大半が先祖の祀りから排除されていた、という特質を持っていたため、創価学会は先祖供養に関心をもたなかった。その意味で創価学会はきわめて都市的であり、しかも政界に進出し、公明党を結成する。だが都市下層以外の階層に信仰を広げられなかったため政権を獲得するに至らず、創価学会と公明党のあいだでは政教分離が行われた。
 一九七三年のオイル・ショックによって経済の伸びに一定のブレーキがかかると、社会は安定成長へと進んでいった。生活が落ち着き、変動が影を潜める。新宗教の勢いには翳りが見え、さらに新しい新新宗教が生まれた。終末論や超能力を説く新新宗教は、新宗教のように大量に信者を獲得することはなかったが、一定の注目を集めた。ここに現れたのがオウム真理教であり、それは敗戦からちょうど五〇年後、一九九五年(平成七年)の東京で、猛毒のサリンを使っての無差別テロを実行した。
 さて、私たちは物のかたちを写すとき、試みに何本も線を引いて、その中から対象物の輪郭にふさわしい一本の線を選び出す。写真を撮るときも、とくにデジタル・カメラであれば何十枚と撮影して、その中からいわば「奇跡の一枚」を見つける。ところが達人は、そうした試行錯誤のあとを見せない。静かに一本の線、一枚の写真を世に送り出すのだ。
 本書はまさに、達人の味わいを有する。文章は清明を以て旨とし、声高に騒がない。自分の達成を誇示するではなく、功績を言い募らない。けれんなく論を進め、提示した三つの軸を自在に操作し、絡め、連関の中に真実を見ようとする。この成果を得るために、どれだけの時間を費やしたのだろう。どれだけの準備をし、考察を重ねたのだろう。感嘆の他はない。
 私がとくに驚いたのは、三つの軸の二つめに、祖先崇拝を選び出した点である。思えば日本仏教はインド仏教本来の輪廻転生の考え方を重んじない。中国・儒教の影響を受けているとの指摘があるが、亡くなった先人は祖霊として家にとどまり、崇拝の対象となる。これを戦後の宗教の分析に用いることで、考察はより深みを増した。靖国の問題も、新宗教の性格付けと区分も、無理なく射程に入ってくる。そして何より、著者がいま精力的に問題提起している、葬送の自由化へと通じていく。
 文句なしにすばらしい本である。こうした文章は「一読をお勧めする」の文句で締めるのが一種の礼儀となっているが、それではとても終わらせられない。一読するだけでなく、ぜひ本棚に置いていただき、折に触れて熟読玩味してほしい。それだけの価値がある本である。そう私は思っている。
(ほんごう・かずと 東京大学史料編纂所教授)


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