私たちの内なる「縄文」/瀬川拓郎
先日、民族文化の復興に取り組むアイヌの若者たちが、歴史の話を聞きたいと私の職場に来た。東京の会社で働いているというそのなかの一人は、どこからみてもヨーロッパ系そのもので、窓口の女性が英語で話しかけそうになったほどだ。
本州から最短で二〇キロしか離れていない津軽海峡の「向こう側」に、なぜ私たちとは大きく異なる特徴をもつ人びとがいるのだろうか。「かれら」と「私たち」はどのような関係にあるのか。私は考古学からアイヌの歴史を研究しているが、その原点はこのような素朴な疑問にあった。
アイヌは縄文人の形質的・遺伝子的な特徴を濃く受け継いでいる。それは厖大な遺伝子情報(ヒトゲノム)を解読した近年の研究でも明らかだ。そしてこの縄文人の遺伝子的特徴は、アジアのどの集団とも異なる孤立性を示している。「人種の孤島」ともいうべきその遺伝子特徴は、アイヌだけでなく現代の本土人にも色濃く受け継がれている。
特異なのは遺伝子ばかりではない。縄文人の骨格的な特徴が現生人類の古層と近縁であることは、三〇年以上前に形質人類学者が指摘した。最近では縄文人の言語が現生人類の言語の古層に属する可能性も説かれている。
ユーラシア大陸には系統不明な孤立言語が九つある。いずれもシベリアやヒマラヤなど辺境地帯にみられる。ところが、そのうち四つが日本列島の周辺に集中する。日本語・アイヌ語・朝鮮語・サハリン先住民のニヴフ語だ。そしてこの四つは、旧石器時代に東アジアの周縁に到達した人類集団の、「出アフリカ古層A型」という共通言語に発するという。
私たち本土人は、この縄文人と大陸からの渡来人が同化して成立した。同化によって失われた縄文伝統は、もはや一切の痕跡をとどめていないようにみえる。私たちの直接の祖先は弥生人にほかならないのではないか。しかし遺伝子や言語のいずれもが、私たちに深く内在し、私たちを規定する「縄文」という存在を指し示しているのだ。
今回、拙著『アイヌと縄文――もうひとつの日本の歴史』(ちくま新書)が刊行された。弥生文化という平地人の文化を拒否し、北海道という山中にとどまった山人ともいえるアイヌの歴史を鏡として、私たちの原郷である「縄文」について考えてみようとする試みだ。
アイヌが本土人と異なる道を歩み始めたのは弥生時代だ。アイヌは農耕文化である弥生文化を拒否した。ただしそれは亜寒帯の生態系を背景に、本州との交易によって生き残るためだ。アイヌの独自な文化の形成は、本州との濃密な交流に支えられていた。アイヌと日本の関係の解明は一筋縄では行かない。
両者の関係は列島規模で展開した。一例を挙げよう。弥生文化は九州北部で成立した。しかしその九州北部でも長崎県一帯の多島海には、縄文人の形質的特徴をもつ海民がいた。かれらはアイヌ語=縄文語が混じった特異な方言を奈良時代まで、また抜歯とイレズミという縄文習俗を近代まで伝えていた。
この長崎県一帯の海民とかかわって、近年の考古学は興味深い事実を明らかにしている。かれらは弥生文化を拒否した北海道の縄文人の末裔に、水稲耕作に代わる高度な漁撈文化を直接もたらしていたのだ。日本列島では山野河海を舞台に、水稲耕作で語られる歴史とは異質な、「縄文」をキーワードとするもうひとつの歴史が繰り広げられてきた、と私は考えている。
ただし、アイヌは縄文世界にとどまったわけではない。日本や北東アジアの人びとと複雑な交流を繰り広げ、ヴァイキングとして大きく変容を遂げてきた。本書は、考古学からみたリアルなアイヌの歴史をとおして、かれらが変容のなか最後まで守り抜こうとした縄文思想についてのべた。
内なる「縄文」はもはやただのロマンではない。関連諸学はその事実を明らかにしつつある。そのことへの気づきは、私たちの生をさらに奥行きのあるものとしてくれるにちがいない。
(せがわ・たくろう 考古学/旭川市博物館館長)
ちくま新書
瀬川拓郎著
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