その勇気に胸を打たれる/宮下奈都

 瀬尾まいこという作家は、これまでずっと世間の枠からはみ出す関係を描いてきたように思う。その魅力的な関係から生まれるワクワク感だけでもじゅうぶん読ませるような。
 今作は少し違う。主人公は中学二年生の隼太。彼の新しい父親――母親の再婚相手・優ちゃん――との関係が軸となる。そのたどたどしい関係は、優ちゃんの暴力によってさらにひしゃげられている。優ちゃんは腕のいい歯科医で評判もいいのに、家ではときどきキレて隼太を殴るのだ。それも、意識が飛んでしまうほど激しく。
 血のつながらない親子は、デビュー作『卵の緒』にも登場するが、かろやかで愛情に満ちた関係だった。隼太と優ちゃんの関係は、奇妙な、とか、いっぷう変わった、とか、間違ってもそんなお洒落なものではない。いびつな、歪んだ、関係だ。
 重たい題材が冒頭からどんと胸にのしかかってくるが、押し潰されそうにならないのは、登場人物たちが強いからだと思う。いや、強くはないか。弱くて、脆くて、折れそうなのに、生命の輝きのようなものがはっきりと伝わってくる。隼太と優ちゃんが新しい関係を結びなおしていく様子から目が離せなくなる。
 とてもいいのは、こどもが未熟で、大人なら何か完璧な答を持っているはずだという幻想を見事に覆しているところ。出てくる大人は皆いっしょうけんめいなのに、どこかデコボコしている。大人らしくふるまおうとしているけれど、中学生の目から見ても穴だらけだ。そこがいい。大人がなんでも解決してくれるわけではないし、できるはずもない。もちろん、中学生はさらに不安定で、ほんの些細なことで揺さぶられ、学校では空気を読み疲れて消耗する。
 隼太と優ちゃんは自分たちの間にあるさまざまなものを、ひとつひとつ手探りで確かめながら、少しずつ近づいていく。あたたかなものも、楽しいことも、たくさんある。でも、反対に心が冷えて固まってしまうようなことも、起きる。そのなまなましさに息をむ。中学二年生特有の、クールでシニカルで、頑なだったり狡かったりする面も持ち合わせている主人公が、優ちゃんに対してだけは、退かず、避けず、逃げず、根気よく、辛抱強く、踏み込んでいく。その勇気に胸を打たれる。
 彼らは「優しい」ということを何度も考える。皮肉にも、父の名は「優」だ。
「でも、優ちゃんの優って、優しいってことでしょう? 優しくなってほしいって願ってつけたんじゃないの?」
「違う違う、優しいって意味じゃなくて、優れた人間になるようにって意味でつけた名前だよ」
 優ちゃんは初めから自分の優しさを信じていない。ちゃんと優しくなってるよ、という隼太に、彼は答える。
「まさか。俺は優しくなんかないよ。言えるとしたら、ただ優しくするのが得意なだけだ」
 そして、隼太もだ。自分のことを優しくないと思い込んでいる。血のつながらないふたりなのに、似ている。自分を信用していない。だから、もどかしい。けれど、ふたりの不器用なやりとりを見ているうちに、自分は優しいと信じて疑いもしない人よりよほどまっとうなのではないかと思えてきた。
 地道に、執拗に、ふたりは共有する時間を積み重ねる。新しくて古い、人と人との間にずっと続いてきた関係のために。名前のつけられない関係に光が当たって輝き出す瞬間を、見たような気持ちになった。
(みやした・なつ 作家)

『僕の明日を照らして』 詳細
瀬尾まいこ著

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