ことばの鋭利な結晶/今福龍太
刊行書としては、「対談選」としか名づけようがないのだろう。けれど高橋悠治という存在をまえにすると、対談というような形式張った言葉は顔を赤らめて立ち去るほかはない。さもなければ、対談という言葉に出会った高橋悠治の方が、羞恥とともに静かにその場を離れてゆくだろう。にもかかわらず、人と人は出会い、言葉をかわし、なにかを思い、なにかに気づき、笑いと沈黙をしばし共有し、そして別れた。その場から、発せられた言葉がこぼれるように床の上に散らばり、しばらくはほとんど誰にも気づかれぬまま、そこにとどまった。編者が現われ、それらの言葉の断片を活字として拾い上げるまで……。
本書はそんな偶然の邂逅の記録である。交わされた言葉の背後に、それをうわまわる言葉にならない閃きと無音が隠されていることも含めて。放置された言葉の上に、時間の推移のなかで発酵した不思議な塵が降り積もっていることも含めて。
この本に収録されたもっとも古い対話は人類学者山口昌男とのもので、一九七四年のこと。私自身も、ちょうどこの前後から高橋悠治のコンサートには欠かさず通う、少々暗い表情の「追っかけ」となった。別段、心の中まで暗かったわけではない。ただ、通り一遍の意味の充満を嫌い、虚無へと傾く衝動があの暗さの根源にはあった。六八年は、すでに過去の出来事として性急に歴史化されようとしていた。経済成長の恩恵を隠れみのにした社会制度の抑圧が日増しに強く感じられるようになってきた若者にとって、ニヒリズムは都合のいい避難所だった。「音楽」という制度や大仰な「演奏会」という共同幻想に背を向け、行き場を失って悶々と内向した意識にとって、「現代音楽」というエッジの利いた新しいムーヴメントは、伝統を負った「音楽」を堅苦しい形式から解放し、別の文化、別の社会性と音楽とを接続しようとする、静かな冒険と挑発の空気を発散していた。解りやすいことには価値はなかった。解らないこと、すぐには解けない問いの連鎖だけが、あの頃のほとんど唯一の希望といえるものだった。暗い顔の私たちだったが、その目の奥はなにかを求めて輝いていた。額は熱を持っていた。
柴田南雄、武満徹、一柳慧、林光、松平頼暁、湯浅譲二、三善晃、近藤譲、高橋悠治……。こんな名前が、その「現代音楽」というエッジに交差するように登場し、それぞれの個性を自在に発揮していた。すこし遠くからケージ、ブーレーズ、クセナキス、尹伊桑、マセダといった先駆者たちの声や技法が鳴り響き、さらに遥かな彼方からバッハやシューマン、ブゾーニ、サティらのこれまで知らなかった響きも聴こえていた。そのなかで、高橋悠治はもっとも若く、もっとも挑発的で、しかも不思議にもっとも冷静で思弁的であった。歴史の奔流にもっとも果敢に棹さし、それでいて流れのなかで一人孤独に見えた。
小さなホールか画廊のような空間での演奏の後、会場のロビーや楽屋の入り口あたりでしばらく待っていれば、高橋悠治は必ず私たちのまえに何気なく姿を見せた。汚れた楽譜を片手に、回りを取り囲んだ若者たちと一緒にボソボソとしばし話し込んだ。取りすましたところは微塵もなく、演奏と同じようにそっけなく、話題はあちこちに飛び、あてどもなく、とってつけたような結論もなかった。だが議論は異様に真剣だった。意味の限界の地点で、つねに言葉が大胆かつ繊細に選択されていた。むやみに観念語に流れることなく、日常語を過剰に蕩尽するようにして、それまでの人間の頭脳が考えてこなかったことがらが立ち現れてきた。箴言のようなことばが、とりわけ耳に残った。本書の随所に登場する、こんな何気ない一言である。
《何も期待することがないときに、希望が生まれる。そして希望は自分でつくり出すもの》
《戻れば戻るほど、たくさんの可能性を見出すことになる》
あのときの感触が彼の「語り」であり、一度そのスリルを経験してしまえば、以後どのようなかたちで「対談」の活字を読む時でも、その感触はもう変わらなかった。私は高橋悠治の、鋭利な結晶を内に秘めた靄のような言葉をそうして追った。解らないことに賭け、謎をふくらませ、問いをさらなる問いに拓こうとした。高橋悠治と同じように、自分のなかの未知を発見し、それを手もとのありあわせの道具と言葉で試してみるために。可能性のきっかけとしての音楽に、触れてみるために。
(いまふく・りゅうた 東京外国語大学教授)
『高橋悠治 対談選』 詳細
高橋 悠治 著 , 小沼 純一 編集
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