あの頃/小幡道昭

「あの頃」ときくと、なぜかクッキリと浮かびあがってくる、そんな「時代」があるものだ。強烈な個人的体験で縁取られていながら、同世代で響きあう、磁力を帯びた「時代」のかたちだ。中野正夫『ゲバルト時代』を読んで、そんな「あの頃」が鮮やかに甦った。
「あの頃」は一撃でその幕を開けた。昼下がりの都立高校、快晴のグランドの片隅で「いまさら運動会かよ、画一化と競争による管理社会の予行演習なんて……」とウンザリしていた私に、「おい、羽田で革命が起こっているようだぜ」と友人が囁く。「出遅れちまったか」と一瞬、胸が騒ぐ。帰ってテレビのチャンネルを回す。角材を手にした学生が機動隊と橋のうえでドンパチぶつかり合う映像が繰り返し流れてくる。一九六七年十月八日「佐藤訪ベト阻止闘争」の忘れられない光景だ。
 衝撃覚めやらぬまま、次の土曜、赤坂清水谷公園のベ平連の集会にゆくと、顔見知りの高校生たちが、羽田に行ってきたという仲間を取り囲み状況報告に聴きいっている。危うく捕まるところ、密集した建物の隙間をくぐり抜けたら、デブの機動隊員が途中で身動きできなくなり、警棒をバタつかせ藻掻くのを尻目に遁走したといった他愛ない話ばかりだったが、それでも「こんな市民集会じゃダメだ」といった気分が充満して、その日のデモは妙に荒れた。
「今度こそ現場にゆこう」と十一月十二日、「闘う高校生」の旗の下、京浜蒲田に結集するも、「佐藤訪米阻止」では固い警備に阻まれ橋まで辿りつけず、そんなこんなで、王子、佐世保、三里塚、四・二八沖縄デーと「闘う高校生」は街頭闘争に出撃していった。
「なにか起こっているんだ、見てみたい」という野次馬だったのかもしれないが、気がつくと、いつの間にか、その野次馬が最前列で機動隊に対峙している。逮捕者がでる。退学者もでる。そういう連中がアパートを借り、民主教育で刷り込まれたプチブル的モラルを破壊する奇妙な共生をはじめる。
 そんな「闘う高校生」だから、もともとアナーキーな連中、党の指導とか組織の規律とか、およそ受けつけないところがあったのだが、「もっとよく見たい」という気持ちにかられてか、六八年の夏休みが明ける頃から、大小いくつもの党派の渦のなかにバラバラに吸収されていった。「なぜか感性が合うんだよ」などと解放派にいったヤツもいたが、乱れてワケが分からぬブントは吸引力が強く、そのまま赤軍派に流れ込んでいったグループもいた。それでも党派の枠をこえ、アナーキーな磁力で共生はなおしばらく続いたのだが、それもいつしか渦のなかに消えていった。
 そうした渦の内部がどんなだったのか、それは『ゲバルト時代』で覗くことができる。中心が周辺を引きつけている、というより、覗き込もうとする周辺が中心をつくりだしている。渦は中空なのだ。環境が意識を決定するというべきか、ともかく、そうした渦をつくりだす磁力が作用していたのはたしかなのだが、それがなになのか、いまだにうまく説明できない。ただ、『ゲバルト時代』の著者は、七面倒な理屈などには無頓着(いまになって寝ぼけた理屈を悟り顔で開陳しては読者の笑いを取ろうと道化てみせるが)、渦の中心に突入してもなお、野次馬のまんま、ボケを演じてみせる。過去に学ぼうなどとケチなことは考えず、およそ反省などとは無縁なその勇猛果敢な姿勢は終始ブレることなく、おもしろうてやがて……
 そんな「時代」も終わって一頻り、八〇年代初頭だったと思う、職も定まらぬまま無聊を託ち早稲田の古本屋街をブラブラしていると、「闘う高校生」の残党にヒョッコリ出くわした。もともと色白ポッチャリなのがふっくらして、背広姿に変わっていた。「イヤー、こんどウチでコンピュータの雑誌をだすことになってネ、そこの大学の助手さんに原稿を依頼しにきたところ、でたら贈るから」と妙に張り切っている。やがて、そのころ出回りはじめたパソコンにくっついてくる、ダメなプログラム言語に、わざわざ定冠詞をくっつけたヘンな名前の雑誌が毎月郵送されてくるようになり、その編集後記でこの男の相も変わらぬハチャメチャは窺い知り得たのだが、浮沈は世の常、それも今から十数年まえに廃刊となり、以後音沙汰しれずとなった。
 件の本の故か、懐旧の念抑えがたく、如何に暮らしけむやと案じし矢先、この元編集長に、こんどは古巣の神田神保町界隈で、これまたヒョッコリ出くわした。腹が減っていたので二人、定食屋で天丼なんぞかき込みながら、「『ゲバルト時代』っていう本がでたの、知ってる?」と聞いてみた。「アー、見たけど。詰まらん本だった……」「たしかに。でもアンタによく似た男の話だったぜ。」「そうかなー。それなら、オタクに似たヤツだってチラッと……」「そういやそんな気も……。なるほど、世の中、広い。探せば、どこかに似たヤツはいるもの。似てると同じは違うんだ。なー、ナガノ。」
(おばた・みちあき 東京大学教授)

『ゲバルト時代 Since1967〜1973 』 詳細
中野正夫 著

    2008

  • 2008年1月号
  • 2008年2月号
  • 2008年3月号
  • 2008年4月号
  • 2008年5月号
  • 2008年6月号
  • 2008年7月号
  • 2008年8月号
  • 2008年9月号
  • 2008年10月号
  • 2008年11月号
  • 2008年12月号

    2007

  • 2007年1月号
  • 2007年2月号
  • 2007年3月号
  • 2007年4月号
  • 2007年5月号
  • 2007年6月号
  • 2007年7月号
  • 2007年8月号
  • 2007年9月号
  • 2007年10月号
  • 2007年11月号
  • 2007年12月号

    2006

  • 2006年9月号
  • 2006年10月号
  • 2006年11月号
  • 2006年12月号

「ちくま」定期購読のおすすめ

「ちくま」購読料は1年分1,100円(税込・送料込)です。複数年のお申し込みも最長5年まで承ります。 ご希望の方は、下記のボタンを押すと表示される入力フォームにてお名前とご住所を送信して下さい。見本誌と申込用紙(郵便振替)を送らせていただきます。

電話、ファクスでお申込みの際は下記までお願いいたします。

    筑摩書房営業部

  • 受付時間 月〜金 9時15分〜17時15分
    〒111-8755 東京都台東区蔵前2-5-3
TEL: 03-5687-2680 FAX: 03-5687-2685 ファクス申込用紙ダウンロード