見るまえに跳ぶ、そのまえに見る――『英語は女を救うのか』を著して/北村 文

「跳ぶまえに見ろ Look before you leap」ということばがあります。気をつけないとけがするから、という警戒のための。それをひっくりかえして、「見るまえに跳べ Leap before you look」という人もいます。石橋をたたいてばかりいてもしかたない、と。


 英語を教える社会学者、という仕事をしていると、英語をたずさえて「跳ぶ」、あるいはそうしようと努力する女性たちに目を奪われます。あなたのジャンプを助けますよ、という甘言は雑誌広告にあふれているけれど、やみくもに駅前留学しても資格を増やしても、それで着地できるところは、もしかするととても狭いかもしれません。「英語ぐらいできないと」から「英語なんかできてもしかたない」まで、英語についてあれこれの物言いがあるなか、そしてそれらの多くが女性に向けて、女性について、言われるなか、ほんとうのところはどうなのだろう、と考えてみました。
 私ひとりで考えたのではありません。英語を勉強していたり英語を使う仕事をしていたりする三六名の女性たちにインタビューし、時に大笑いしながら、時にため息をつきながら、彼女らとああでもないこうでもないと話したことを著しました。


 彼女らは言います――「こうして振り返るとなんとラッキーというか綱渡りというか。まさに英語に助けられてばかりの人生」、「英語がなければ私はただのおばさん」。でも、そう話す彼女らにも、海外では就職できず帰国するしかなかったとか、英会話スクールの生徒さんに値踏みをされていやなおもいをしたとかいう経験があります。
 こんなふうに言う女性もいます――「英語を役に立てるのは難しいよね。自分でも役に立ってるのかどうかってわからない」、「英語が救ってくれるんなら、どんなにいいかって感じです」。華やかなキャリアを築いているようにみえる、国際的な、バイリンガルの、コスモポリンタンな女性たちもまた、それぞれに不安や迷いのなかでもがいていることがわかります。


 英語はドアだ、という比喩があります。それを開けば、今ある日常から抜け出して、新たな世界に旅立てる、と、私たちを手招きします。しかしその「ドア」は多くの場合、ガラス張りだったり開けっ放しだったりすることがなく、むしろ力いっぱいに押さねば開かないような重厚なもののようです。こちら側で英語にあこがれる女性たちが、扉の向こうにある現実の厳しさやしんどさを知ることができないように、できているようです。
 でも、三六名の女性たちの声を聞いていると、実は「ドア」のこちらとあちらはそれほどに違わないのではないかとおもわされます。毎日の仕事に追われて余裕がないのも、将来がみえなかったり自分が何ものかがわからなかったりして不安なのも、彼女らだけではないし、私だけでもない。そのとき、英語ができる/できないという隔たりを越えて、女性たちは手をつなぐことができるのではないか、とおもいます。


 英語は女を救うのか――この問いには、単純に答えようとしないほうがよさそうです。英語にあこがれる女性、あこがれていた女性、そんなのはばかげているとおもう女性、おもわない女性、そして男性が、「ドア」のこちらとあちらに目を凝らしてみるきっかけに、そして私たちを隔て、格差を生みだすこの社会のしくみについて考えるきっかけに、この本がなればと願ってやみません。


 女性たちが地面を蹴るまえに、見るまえに跳んでしまうまえに、私が「見る」ことをしてみました。朝九時のキャンパスで、あるいは夕方七時のオフィス街で、テキストを抱えて向かうその先が、いっそう明るいものでありますように。
(きたむら・あや 明治学院大学専任講師)

『英語は女を救うのか』 詳細
北村文 著

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