皮肉と恋愛、そしてSF―『ジェイン・オースティンの読書会』/中野康司

 イギリスの女性作家ジェイン・オースティンには、じつにさまざまなタイプの愛読者がいる。一八二六年つまりオースティンが亡くなって九年後に、アメリカ合衆国最高裁首席判事は、同僚の判事にこんな手紙を書いている。
「オースティンの小説は、天高く飛翔するような性格の作品ではありませんし、鷲の翼に乗って大空を駆けめぐるような作品でもありません。でも非常に楽しいし、面白いし、とても落ち着いた穏やかな小説ですが、読者をすごく笑わせてくれるのです」
 インテリの裁判官は、気骨の折れる仕事の合間に、人間通のオースティンの皮肉とユーモアを堪能したと推察される。
 オースティンはまた恋愛小説の達人でもある。その証拠に二百年後の現代では、彼女の小説を原作とした恋愛映画がつぎつぎに作られ、六つの長編小説をネタにした『ジェイン・オースティンの恋愛指南』といった関連本まで出ている。
 そして関連本といえば、『高慢と偏見とゾンビ』といったパロディ小説もあるが、やはり一番のベストセラーは『ジェイン・オースティンの読書会』だろう。しかし驚いたことに、作者のカレン・ジョイ・ファウラーは著名なSF作家である。SF作家がオースティンの熱烈な愛読者? たいへん意外である。オースティンは空想を排し、徹底的に現実を見つめて日常世界を描いた作家である。いっぽうSF小説は、かつては「空想科学小説」と呼ばれ、まさに空想こそ命というジャンルである。両者は犬猿の仲だと思っていたのだが――。
 しかしファウラーはかなり異色な作家で、普通の小説とSF小説の架け橋になるような作品をめざしているらしい。実際彼女の作品は、SF関係の文学賞をいくつも受賞してはいるが、その際、はたして純粋にSFジャンルの作品かどうかが議論になったそうだ。なるほどそれで納得がいく。SF作家ファウラーは、対極にあるオースティンの六つの長編小説とがっぷり四つに組んで、その魅力を縦横に語り、かつ、自分のSF作家としての技もたっぷり披露しようと考えたのだろう。
 結果は大成功で、発売後まもなく「NYタイムズ・ベストセラー」に名を連ね、映画化もされてこれも大評判となった。たいへん楽しい映画だったが、ただし、原作のSF風味の映像化はほとんどなされていないので、これは活字で楽しむしかない。
 それに、原作の随所にちりばめられた鋭いユニークな意見も、やはり活字でじっくり検討したい。たとえば――。
「オースティンの小説には、幸せな結婚をしていない女性たちも必ず登場する。オースティンの読者は、こういう女性たちにも目を向けて教訓とすべきだと思うが、みんなあまり目を向けようとしないのだ」
「ブランドン大佐とマリアンの結婚という結末に、読者は釈然としないものを感じると思うけど、ジェインはまさに、その釈然としないものを読者に感じてほしくて、ああいう結末にしたのよ」
 どうやらファウラーは、ハッピーエンドで有名なオースティンの小説に、ちょっと暗めの照明も当てたいらしい。
 そして暗めといえば、「読書会」に参加する六人のメンバーは、いずれもたいへん個性的で、みごとなキャラ立ちを見せているが、それぞれ心の悩みを抱えていて、そこに漂う一抹の物悲しさが、一見明るいこの小説の捨てがたい味となっている。
 いずれにしても、さすがにベストセラーになっただけのことはあり、六人のメンバーの現在の生活と、子供時代の風変わりなエピソード(ここでファウラーのSF作家としての力量が最大限に発揮される)と、そしてもちろん活発な読書会が交互に現われて、読者をひとときも退屈させない作りになっている。オースティンのためにも、長く読み継がれてほしい傑作であり、あえて新訳を出す次第です。
(なかの・こうじ 元青山学院大学教授)

カレン・ジョイ・ファウラー著 中野康司訳『ジェイン・オースティンの読書会』詳細

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