ちくまの教科書 > 益田勝実氏を悼む
去る2010年2月6日、小社国語教科書編集委員を長きにわたって務めていただいた益田勝実先生が逝去されました。近年はお体の具合がすぐれず、表舞台に姿を現されることはありませんでしたが、2006年に小社より刊行した論考集『益田勝実の仕事1~5(ちくま学芸文庫)は、毎日出版文化賞を受賞するなど、その存在感はいささかも衰えるものではありませんでした。益田先生の訃報に際して、かつて筑摩書房国語教科書の屋台骨を益田先生と一緒に支えていただいた秋山虔先生から追悼文を頂戴いたしましたので、ここに掲載し、益田先生の御冥福をお祈りしたいと存じます。

益田勝実氏を悼む

 長い間病を養っておられた益田勝実氏が、二月六日、ついに不帰の遠方へ旅立たれた。哀しい。戦後、昭和20年代、日本の古典文学にどう向き合うべきかを語らい、互いに競い合った友人たちが次々と鬼籍に入り、ついに一人も存生しなくなった。大学の研究室で、大学の近くの集会所で、喫茶店の片隅で、そしてまた拙宅で談論に時の過ぎるのを忘れた、かつての日々がなつかしく回顧される。益田氏との思い出に限っていえば、氏の主宰された日本文学史研究会に参加して知見を広めえたことも忘れがたいが、私にとってもっとも充実した、敢えていえば至福のときを過ごすことができたのは、筑摩書房の会議室での、西尾実先生主幹の高校国語教科書の編集会議であった。

 この高校教科書の発刊は昭和33年であったとのことだが、おくれて編集委員に加えていただいた、そのころの私は、平安文学を対象として評釈や論著の若干を世に問うていたものの、語学力もおぼつかないくせに、なんたることか『海潮音』に匹敵するような訳詩を紡いでみたい、などという高校時代からのたわけた夢をまったく捨ててはいなかったのだった。しかし、ほとんど益田氏によって基調の領導される現代国語や古文の教科書の編集会議が、教科書を仕上げるという目的とは別に、私の姿勢をきりりと引き締めることになったのは確実である。

 益田氏の法政大学教授着任は昭和42年であったが、それ以前、教諭として勤務された東京都立神代高等学校における国語教育の実践、その卒業生を中心メンバーとする「サークルいしずえ」を主宰しての社会文化活動の経験が、筑摩書房刊の国語教科書の編集と、いかに緊密に連繋するものであったかは、氏の著作集『益田勝実の仕事 5(ちくま学芸文庫 2006年)に収載される、初期の文学教育論、古典教育論、「現代国語」論・国語教育原論、学習指導論の四部に仕分けられた論文・実践報告等によって、いまさらながら実感され、感動を禁じえないのである。

 現在の筑摩の国語教科書に、あのころの教科書編集の気概が遺産として受け継がれていることを慶びとする。

東京大学名誉教授

秋山 虔

益田勝実 ますだ かつみ

1923~2010年。山口県生まれ。東京大学文学部国文学科卒業。法政大学文学部教授を長く務め、89年定年退職。国文学と民俗学の両方法を駆使して、日本人の精神的古層を明らかにした。また、実証と想像力のせめぎあう緊張した文章は、今なお多くの読者を魅了している。2006年『益田勝実の仕事』で毎日出版文化賞受賞。著書に『説話文学と絵巻』『秘儀の島―日本の神話的想像力』『記紀歌謡』『古事記』などがある。

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