ちくまの教科書 > 国語通信 > 連載 > 定番教材の誕生 第1回(3/5)
第1回 “恐るべき画一化”―定番教材はなぜ消えない
第2回 “生き残りの罪障感”―定番教材の法則
第3回 “復員兵が見た世界”―定番教材にひそむ戦場体験
第4回 “ぼんやりとしたうしろめたさ”―定番教材の生き残り
第5回 “豊かな社会の罪障感”―定番教材のゆくえ
野中潤(のなか・じゅん)
聖光学院中・高教諭
日本大学非常勤講師
著者のブログ
BUNGAKU@モダン日本
第1回 “恐るべき画一化”―定番教材はなぜ消えない
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2.定番教材「こころ」の起源

「こころ」を最初に採録した教科書

 石原千秋さんは、近年刊行された『漱石と三人の読者』(2004年10月・講談社現代新書)の中で、関口安義さんの説に依拠して、「こころ」が最初に教材化されたのは、1963年(昭和38)年に発行された筑摩書房版『現代国語二』だと書いています。定番教材の代表選手である「こころ」を他社にさきがけて採録したのが筑摩書房であるという話ですから、WEB版「国語通信」連載第1回の話題としては理想的です。1963(昭和38)年と言えば、東京オリンピック開催の前年で、たかだか40年ほど前のことに過ぎません。毎年改訂されるわけではない教科書の世界での出来事としては、つい最近のことと言っても過言ではないでしょう。

 しかし、ちょっと新しすぎるのではないかという疑問を抱き、あらためて調べてみると、「こころ」が国語の教科書に最初に採録されたのは、筑摩書房版ではありませんでした。確認されている限りで最も早い時期の採録は、1956年(昭和31)11月に発行された清水書院の『高等国語二』です。これは、すでに藤井淑禎さんなどによって明らかにされていることなのですが、漱石研究をリードし続けている石原千秋さんでも毎年大量に生産され続けている漱石研究のすべてをフォローすることはさすがに困難だったということなのでしょう。

 とは言え、1956(昭和31)年までさかのぼったとしても、たかだか50年ほど前のことに過ぎません。石原千秋さんによると、「こころ」は旧制高等学校の生徒たちにかなり読まれていたということですから、戦前の教科書を調べれば、定番教材「こころ」の起源はもう少しさかのぼれるのではないかと思えます。

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