ちくまの教科書 > 国語通信 > 連載 > 定番教材の誕生 第2回(4/5)
第1回 “恐るべき画一化”―定番教材はなぜ消えない
第2回 “生き残りの罪障感”―定番教材の法則
第3回 “復員兵が見た世界”―定番教材にひそむ戦場体験
第4回 “ぼんやりとしたうしろめたさ”―定番教材の生き残り
第5回 “豊かな社会の罪障感”―定番教材のゆくえ
野中潤(のなか・じゅん)
聖光学院中・高教諭
日本大学非常勤講師
著者のブログ
BUNGAKU@モダン日本
第2回 “生き残りの罪障感”―定番教材の法則
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4.定番教材の法則

罪障感を抱え込んだ生者の物語

 現在の高等学校の国語教科書において突出した教材である「こころ」「羅生門」「舞姫」という3つの定番の採録状況は、判で押したようによく似ています。戦争をはさんでこれほどまでに採録状況が一変するということは、3つの定番教材の起源が“敗戦後”という時空にあることを示唆しているはずです。

 かりに、GHQとか文部省(現在の文部科学省)のような権力機構が意図的に定番教材の誕生を画策したとしても、教科書編集者、現場の国語教員、教室の生徒たちなどの広範な人々によって容認され、支持され、欲望されなければ、すべての教科書会社がこぞって同じ教材を採録するというような状況はありえなかったでしょう。定番教材の成立を支えているのは、文教政策とか検定制度のあり方といった社会科学的な問題よりも、むしろ教科書に関わる組織や個人の意志を超えたところにある、敗戦後の日本人が抱える精神分析学的な問題であるように思えます。

 たとえば、3つの定番教材に共通しているモチーフとして、「死者の犠牲を足場にして生きることでイノセント(無垢性)が損なわれ、汚れを抱え込んでしまった生者の罪障感」という問題を抽出することができます。

 「こころ」における死者とはもちろん、第一義的にはKのことです。Kが死ぬことによって先生のイノセントは致命的な傷を負います。

 また「こころ」という小説を、先生の遺書を受け取った「私(青年)」が「『奥さん』―と―共に―生きること」(小森陽一)を描いた物語だと考えれば、先生の死を防ぐことができなかった青年が、「なぜ助けられなかったのか」という罪障感を抱えながら奥さんの人生を引き受けるという後日譚を想定することもできます。「K―先生―青年」という死者と生者の連鎖があるわけです。

 「羅生門」の場合も、恋愛こそからみませんが、「女―老婆―下人」という死者と生者の連鎖を設定すれば、下人が死者からの収奪をおこない、死に近接した存在である老婆を死の側へと追いつめてしまっていることは明らかです。「死者の犠牲を足場にして生きることでイノセント(無垢性)が損なわれ、汚れを抱え込んでしまった生者の罪障感」というモチーフを読み取ることは可能でしょう。

 もちろん罪障感の問題が読者に突きつけられるということではありません。むしろ物語の力学としては、モチーフとしての罪障感を抑圧し、罪障感を抱えた生者を承認・肯定する方向に作用していると言えます。

 「舞姫」に登場する死者といえば、太田豊太郎の母ということになりますが、「こころ」のKに相当する死者を探すとすれば、むしろエリスでしょう。エリスは“死者”ではありませんが、太田豊太郎は象徴的な意味合いにおいて“エリス殺し”をおこなったと考えることができるからです。

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