筒井清忠という現在

篠田正浩

 いきなり丸山真男の批判から本書は始まる。一九四六年という生々しい戦後の真っ只中で書き進められた丸山真男の日本ファシズム批判の諸論文に戦後生まれの著者が反論する姿勢は、まるでバレーの時間差攻撃のようなスリルに満ち溢れている。  

 私自身の歴史認識もまた、時の流れとともに揺れてきた。たとえば五歳のときに起きた二・二六事件が、ベルリン・オリンピックと同じ一九三六年であると知るのは戦後である。「民族の祭典」と改題された記録映画を観たのは小学校三年になってからだ。ヒットラーの顔と競技場に掲揚された巨大な日の丸が鮮烈な記憶となっている。三段跳の田島直人や棒高跳の西田修平らのメダリストの名前はすぐ覚えたけれども、磯部浅一をはじめ安藤輝三、野中四郎ら死刑や自決した青年将校の名前を記憶するのは一九七〇年の三島由紀夫切腹自殺以後である。さらにオリンピックの最中に日本陸軍がナチス・ドイツと同盟工作をしていたと知ったのは、映画「スパイ・ゾルゲ」の脚本執筆中の九〇年代であった。  

 歴史は絶えず過去を見直す。新しい現在が生まれるたびに過去の意味も変わる、と述べたジョージ・H・ミードの言葉が切実である。そこで丸山真男である。私にとって丸山真男は、一九五一年の英米を中心とする反共国家群との講和を決断した日本政府のサンフランシスコ講和条約に反対して、全面講和を主張した知識人グループの一人として認識していた。しかし、吉田茂首相に彼らは現実を直視しない曲学阿世の徒とののしられた。丸山は学生時代に治安維持法で検挙され、その懲罰的な徴兵で配属された広島で原爆の閃光を浴びた。この過酷な戦争体験から逃れようがなかったにしても、鉄のカーテンの向こう側で起きていた悲惨な状況が暴露されるや、全面講和論は丸山に政治的敗北をもたらした。  

 また、丸山の言説で印象深いのは、ニュルンベルク裁判のドイツ人被告らの威厳に満ちた風貌に「ヨーロッパの伝統的精神に自覚的に挑戦するニヒリストの明るさ」が認められたのに、東京裁判の日本人戦犯たちが死刑を免れようと「うなぎのようにぬらくらし、霞のように曖昧な」態度をとっていると指弾したことである。私もニュース映画で目撃した戦犯被告席の光景から丸山に共感したものである。しかし筒井はその見方が皮相的だとして、ゲーリング元帥が自己保身のために回避、隠匿、否定を執拗にくりかえし、リッベントロープ外相やカイテル元帥も例外ではなかったことを、博捜した文書によって立証する。  

 さらに筒井は丸山の華麗な修辞をくぐりぬけ、二・二六事件を惹起した日本ファシズムに鋭利なメスを入れる。特筆すべき彼の論旨は、クーデタを実行した青年将校のイデーになった北一輝の一君万民思想(日本改造法案大綱)が、一九二〇年代から急激に発達した、(一)商品の大量消費、販売、(二)情報の大量化、マスコミの誕生、(三)教育の普及、高級化、という社会現象がもたらした昭和の“平準化”と連動しているとする。この第二章で展開される“平準化”論はこの著作の中軸をなすものであり、近年の快著「西條八十」(中央公論新社)はその申し子であろう。丸山がファシズムの目的が唯一「反革命」を目指す運動体だとするのに、筒井は、磯部浅一らが極めて計画的に大掛かりな兵士を動員して暴力による一君万民=平準化をめざしたとし、クーデタの内実に「革命」への意志を読み取ろうとする。処刑直前の磯部の遺言には、「革命」を拒絶した昭和天皇への怨恨が噴出していると。

 「天皇陛下、何と云ふ御失政でありますか。何と云ふザマです」「日本国民の九割は貧苦にしなびて、おこる元気もないのでありますぞ」

 『二・二六事件とその時代』は筒井清忠という現在から繰り出された、昭和史への時間差攻撃である。

(しのだ・まさひろ 映画監督)

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二・二六事件とその時代

二・二六事件とその時代 ─昭和期日本の構造

筒井 清忠 著

定価1,365円(税込)