なんでやねん!

本郷和人

 漫才は「ぼけ」と「つっこみ」。才気に満ちた方が「ぼけ」役にまわり「つっこみ」は「ふんふん」と頷くだけ、というコンビも見かける。あれでギャラは折半なのかな。さもしい考えが頭をよぎる。だが、鋭い「つっこみ」がなければ「ぼけ」がいきないとは見巧者の一致した見解であり、調和のとれた平衡状態に「なんでやねん!」いかに波風を立てるかが、「つっこみ」の腕の見せ所となる。
 さて私の呑気な商売はといえば「むかし」のことをあれこれほじくって芸人よろしく学生相手に喋り散らすのであるが、それでも最近つくづくと、相反する二つの命題の重要性を痛感している。一つは、A。かつて生を営んでいた人々の感覚・感性に立ち返り、「むかし」を復元すること。思いがけないことについて、むかしは「いま」と全く異なっていた。たとえば「食べる」こと。朝食の重要性は繰り返し強調されるところだが、つい最近まで、おそらく江戸時代までは一般の人々は一日二食、食事の時間は午前十時と午後六時であった。たとえば「死ぬ」こと。私たちは肉親が亡くなれば悲しみのうちに葬儀を執り行い、火葬して丁重に遺骨を埋葬する。だが中世にあっては遺体は魂魄(こんぱく)が去り出た抜け殻にすぎず、粗大ごみとして町はずれや山川に無造作にうち捨てられた。たとえば「排泄」。中世の遺跡からは細い竹のヘラが多く出土する。紙が貴重品であった彼(か)の時代、人々は排便の後、これでお尻をぬぐったらしい。でも本当にキレイになったのかな。
 ところがもう一つ、B。私たちの常識を大切にし、むかしへの大方の理解に疑義を呈する、という作業もまた大切である。たとえば桶狭間の戦い。風雨を突いた織田軍は今川軍に奇襲をかけて勝利した。そうした長年の定説に近ごろ再検討が加えられ、信長は正面から戦いを挑んで義元を討ち取ったという見方が有力になっている。小がよく大に打ち勝つ、というある種の神話の否定は旧日本帝国陸軍の作戦行動の拙劣さへの批判でもあるらしく、それはまことに結構なのだが、ちょっと待って欲しい。ここで常識の出番である。二万五千もの今川の大軍に二千か三千たらずの小勢が正面きって突撃するだろうか。バンザイ突撃でもあるまいに。「なんでやねん!」正面戦闘説は、いまのままでは明らかに説明不足で、不十分である。
 もう少し大きな話として、たとえば武家政権。武士たちの政権、幕府ができました。それはそうだろうけれど、よくよく調べてみると彼らはろくに字も書けない、本も読めない。戦闘の熟練者、もっと露骨にいえば人殺しの専門家が集まって、一体何をしようというのか。小学校でも教えられた。いいくにつくろう、鎌倉幕府。「なんでやねん!」戦闘者がそう簡便に為政者に衣更えできるわけがないではないか。武士たちが政権を組織したことの意味、彼らが目指したもの、彼らの成長の軌跡、そうしたことは全て、いま一度あらためて熟慮すべきである。
 天皇は日本の王である。日本は単一民族、単一国家である。日本人は宗教と無縁である。武士が社会の支配層を形成する。当然のこととして等閑(なおざり)にされてきた、そうした歴史上の常識に「つっこむ」ことを旨として、このたび『武士から王へ』を上梓した。ワン・アイデアを基本として重厚に論理を積み上げるのではなく、あちらで「なんでやねん!」こちらで「なんでやねん!」、いくつもの注意を喚起し、問題点を掘り起こし、それらを統合していく手法を採っている。つまり本書の主題は「なんでやねん」であって、これまでとはかなり異なる、新しい日本中世史像を提起し得たと(ほんのちょっとだけ)自負している。読者のみなさまも、どうかつっこみを入れながらお読み下さい。ちょっと待たんかい、この説明はおかしやないか。「なんでやねん!」。そうそう、その調子だす。

(ほんごう・かずと 東京大学大学院情報学環准教授)

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武士から王へ ─お上の物語

本郷 和人 著

定価756円(税込)