『象徴天皇という物語』の生まれたころ

小熊英二

 赤坂氏と最初に会ったのは、一九八八年だった。私は大学卒業後、八七年四月に岩波書店に入って雑誌『世界』の編集部にいた。仕事を覚えるのでせいいっぱいだった時期がすぎ、自分なりに企画を立ててみようとしていたころだった。
 当時の私の問題意識は、現代社会を自分にとってリアリティの持てる論じ方で読みといた原稿が掲載できないか、ということだった。当時の『世界』には、まだ健在だった「戦後民主主義」の知識人が寄稿していた。しかし若かった私には、どうしても彼らの論じ方がぴったりこなかった。こうした違和感は、私が二〇〇二年に『〈民主〉と〈愛国〉』(新曜社)を書いて、彼ら戦争体験世代の知識人が、どういう背景や経験からあのような論じ方をしていたのかを、私なりに理解できるようになるまで解消できなかった。
 もう世に名の出ている執筆者はすでに先輩が押さえていたので、私は上記のようなことを念頭に、当時まだ論壇レベルでは無名に近かった比較的若い執筆者に会いに行った。そのなかには、宮台真司、吉見俊哉、大澤真幸、大塚英志など、のちに有名になった人もいれば、その後も無名のままの人もいる。
 こうした人々の企画を通すのは、なかなかむずかしかった。私が未熟だったせいもあるが、当時の『世界』のパラダイムとは異なる企画を、まだ無名に近い人でやろうとしていたのだから当然だったかもしれない。吉見氏や大塚氏のように原稿を掲載できた方もいれば、宮台氏のようについに企画が通らずに終わった人もいた。当時の宮台氏は、難解な数理社会学の本を出したばかりで、のちにあのような形で有名になるとは、私も当時の編集部員たちも、夢にも思っていなかったが。
 当時は三十代半ばの「在野の批評家」だった赤坂氏に会いに行ったのも、そうした試みの一つだった。正直にいえば、私は赤坂氏についても、『異人論序説』(砂子屋書房、のちちくま学芸文庫)に代表される「民俗学的」な仕事よりも、当時の彼が書いていた『排除の現象学』(筑摩書房、のちちくま学芸文庫)のような現代社会を論じた評論に興味をもって接触した。
 最初に会ったのは、彼が住んでいた国分寺の喫茶店だった。やや伏し目がちに声低く話しながら、同時に触れなば切られんといった緊張感をただよわす、いいかげんにはつきあえない人という印象をもった。一見とつとつとした話しぶりも、自己の感性から肉離れを起こさないよう言葉を選んでいるためであることがよくわかった。
 何回か会っているうち、象徴天皇制について連載で書きたいといわれた。当時の『世界』編集部内では、彼は無名だった。しかし昭和天皇が倒れて「自粛」の時期だったので、象徴天皇制を論ずる企画という形で、何とか編集会議を通った。
 農学部卒の私は当時は日本思想史などまったく知識がなく、津田左右吉も和辻哲郎も、名前を聞くのもほとんど初耳で、彼と企画を相談している時にはじめて本を手にとった。数年後、私は『世界』編集部から営業部へ異動し、無聊のうちに自分で研究をするようになり、ついには休職して大学院で修士論文を書くに至るのだが、そのさいに津田と和辻は一章ずつとりあげた。修士論文は九五年に『単一民族神話の起源』(新曜社)として出版されたが、赤坂氏の原稿を担当しなかったら、津田と和辻があの本に出てくることもなかったかもしれない。
 この本に収録されている論文は、私が担当したものばかりではない。また上記のように担当時の私は日本思想史に無知だったから、ヒントになるようなことを言えたとは思えない。だからあの連載が一九九〇年に『象徴天皇という物語』という単行本となって筑摩書房から出版されたとき、あとがきに「元『世界』編集部の小熊英二氏に、慎んでお礼を申しあげたい」とあったのを見たときは恐縮した。私は何もお役に立てた覚えはない。私のほうが勉強させてもらったのだから、こちらが御礼をいわねばならない。
 当時はEメールなどなく、ファックスも普及しておらず、赤坂氏の自宅にもファックスはなかったから、原稿は毎回国分寺まで受けとりにいった。私は著者から原稿をもらったら、その場でざっと読んですぐ感想を言うようにしていたので、一連の原稿を赤坂氏から国分寺の喫茶店で渡されるとき、原稿の感想を端緒にして二人でよく長々と話をした。しかし日本思想史や象徴天皇制に無知だったはずの私が、いったい何をそんなに話したのか、ろくに覚えていない。
 一つだけ覚えているのは、私が『世界』から異動になり、赤坂氏の担当もできなくなることを伝えた日の会話である。前述のように、私は現代社会を論じる人として赤坂氏に接触したから、当初は『異人論序説』もろくに理解していなかった。そんな自分は、「つごうよく原稿を著者に書かせるだけの吸血鬼ではないかと思うんですが」と私はいった。すると赤坂氏は、微笑を浮かべながら「ただの吸血鬼の編集者はすぐわかりますよ」といった。
 あれから二〇年近くたった。だが年月を経て、在野の批評家から「東北学」を掲げる高名な教授になっても、彼の印象は全然変わらない。原稿をもらっていた時期以後は、数回しかお会いしていないが、たまに会うと基本的に信頼を持ってくれているのがよく感じられる。ただ、心身とも忙しそうなのが気がかりだ。どうぞご自愛ください。そしてよいお仕事を。

(おぐま・えいじ 歴史学・社会学)

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象徴天皇という物語

赤坂 憲雄 著

定価945円(税込)