まさに水先案内人か灯台守か

永江 朗

 こんな本が出るのを待っていたんだ! というのが『本の本』を手に取っての正直な気持ちです。お世辞ではありません。
『本の本』は斎藤美奈子さんの書評を集めたもの。一九九四年七月から二〇〇七年三月までの十二年半に新聞・雑誌等に発表された書評と読書エッセイが入っています。取り上げられた本は六五二点。これが七二〇ページに詰まっています。意外なことに、これが初めての書評集なんだそうです。
 一人の批評家が書いた書評をすべて読もうとすると大変です。というのも、書評の発表媒体が多岐にわたるため、よほどストーカー的に追いかけない限り網羅できないから。書評が載る媒体には、文芸誌もあればファッション誌もあります。メジャーな新聞、雑誌もあれば、マイナーな雑誌やPR誌もあります。本書の初出データを見ると、一般紙誌のほかPR紙誌や書評紙、専門誌があり、なかには『プレジデント』なんていう、斎藤さんにあまり似合わない媒体もあります。「こんなところで、こんなことを書いていたのか」と驚いたりして。あと、初出不明の文章もけっこうありますね。斎藤さんの仕事場の散らかりぐあいが想像されます。
 毎日、たくさんの本が出ます。一年間の出版点数は八万点。平均二二〇点もの新刊が毎日出ていることになります。しかも、玉石混淆。玉より石のほうが圧倒的に多い。何を読んでいいのかわかりません。大きな書店に行くたびに呆然としてしまいます。太平洋ひとりぼっちの気分です。
 そんなとき、斎藤美奈子さんの存在はたいへんありがたい。まさに水先案内人か灯台守か。ヨーロッパの上流の生活を捨て、この極東の島国のゴミだらけの出版界に来てくれてほんとうに良かった。というギャグも通じなくなりましたね(合掌)。
 今回、『本の本』を読んで、あらためて斎藤書評がいかにすぐれているかを痛感しました。斎藤さんはその本がどんな本であるのかを伝えるだけでなく、その本の読み方まで提案してくれます。「あとがきにかえて」のなかで、〈書評は「予習」よりも「復習」のために読んだほうがおもしろい〉と斎藤さんは言っていますが、それはこの本のためにあるような言葉。彼女の書評を読むと、「ああ、こういうふうに読めばいいんだ」とわかります。もっとも、そこのところは微妙で、「ふうん、あんたはそう読むの。オレは違うね」という態度を引き出すこともある。とくに家父長制ならぬ男尊女卑に染まったオッサンなどはカチンとくるわけです。で、このカチンが重要。無自覚だった内なる家父長制に気づくことになる。斎藤書評のブレヒト的異化効果とでもいえましょうか。いずれにしても共感か反発を起こさせるわけで、読者の本に対する積極性を引き出すことにもなる。その意味で斎藤さんは啓蒙的です。私は以前から「斎藤美奈子は橋本治に似ている」と思っていたのですが、橋本さんが「ああでもなく、こうでもなく」と物事の見方、考え方を提示して啓蒙するように、斎藤さんは本の読み方を啓蒙してくれます。しかも文章に芸がありますからね。啓蒙的でありつつ芸があるのは難しいことなのに。
 それぞれの書評の質の高さ、手抜きのなさに加えて、もうひとつ本書を読んで気づいたことがあります。それは贈答品としての書評がない、ということです。贈答品としての書評とは、その本の作者や編集者、あるいは出版社に対するプレゼントとして書かれた書評です。一言でいえばヨイショ。この仕事をしているとヨイショの誘惑はしょっちゅうあります。気づかずにヨイショしていることもある。ことに顔見知りの作家だったりすると。斎藤さんにはそれがない。贔屓というか好みがあるのは本書を読めばわかります。あばたもえくぼということもあるかもしれない。でも贈答品ではありません。
 世間には斎藤美奈子イコール辛口&毒舌と思っている人もいるようですが、そんなことはありません。ダメなものに容赦ないだけです。
(ながえ・あきら フリーライター)

前のページへ戻る

本の本

斎藤 美奈子 著

定価2,940円(税込)