古本屋になった女たち

近代ナリコ

 いろいろないきかたがあるのだな。それはとりたてて、女性で、しかも古本屋の店主だからというわけでもないだろうが、これまであまたの古本屋をめぐり歩き、その姿を私たちに伝えてきてくれた岡崎さんのこのたびの仕事に接してまずえたのは、そんなシンプルな感想である。
 本書の連載時のタイトルは「古本屋は女に向いた職業」だが、はたしてどうだろう。こうして「女性の古本屋店主」がならべられることじたい、これまではそうではなかったことを示しているといえる。
 なにごとにおいても、女性は女性ならではのやりかたというものをもっている。それは、誰もがそれに沿ってなにごとかをなせるよう、理路整然と体系化されたものではなく、そのひとそれぞれの状況やタイミングにおうじて、ものごとがなっていくときの、いきおいや創意工夫や直感が分け隔てなくまじりあったある力であるようだ。
 本書にあげられている、これまでの古書店にない特性、手作り感覚やジャンルの逸脱、型にはまらぬ品揃え、古書店というだけにかぎらない「場」としてのありかた、それらをプロデュースしてゆくことのできるセンスは、そんな力の作用によっているのではないか。男性が、まずこうといったコンセプトを打ち立て、それを実現化させてゆく「なす」者であるとすると、女性は「なる」者なのだろう。なにより彼女たちがいま古本屋であるということに、女性の「なる」力をみせられる思いがする。
 九〇年代半ばからの古本をめぐるあたらしい波のなかで、とびきりの輝きをもってあらわれた「日月堂」。店主の佐藤真砂さんが、八〇年代のバブルの大波に揉まれて格闘し、打ち上げられた浜辺でめぐり会ったのが、古本と古本屋という仕事だった。そんな彼女のプロフィールをはじめ、十三の古書店と、その女性店主たちのさまざまな顔が紹介されてゆく。
「火星の庭」前野久美子さんがブックカフェ開業にいたるまでの、海をまたいで飛び回る破天荒な経歴に眼をまわし、「お勤めには向かない」けれど店は毎日かならずあける、植物と虫と本を愛する「蟲文庫」田中美穂さんを、少女のころから知っている友達のように思った。「興居島屋」尾崎澄子さんの一日に、古本屋と町、古本と生活が気負いなくよりそう西荻の空気を吸い込み、先だった夫との約束を胸に、古本屋をはじめた「石田書房」石田由美子さんの、その店名の由来においおい泣いた。そして、本から顔をあげたとき、身のまわりがひろびろと明るくみえた。こういうすてきな読後感をあたえてくれる本に出会うのは、ひさしぶりのことである。
 読まなくてはならない本に追われていると、しだいに本の読みかたが平板になってくる。自分のためだけの読書といえども、ただ楽しいばかりではない。気晴らしのため、のんきに読むこともあれば、わざわざ苦しい思いをするために読むこともある。毎日のルーティンのなかで、なんとなく文字を追う瞬間もあれば、電車のなかで降りる駅も忘れてのめり込んだりもする。誰かと話をしたくてたまらなくなったり、熱をだして寝こんだり、おそろしくやる気になったり。
 本を読むときのテンションには、さまざまなグラデーションがあったはずなのに、それがいつも真ん中にとどまって灰色をしているのに、ちかごろつくづく倦んでいたのだ。そういうところから、『女子の古本屋』は私をひっぱりあげてくれた。自分のなかにちいさな胚、なにかを生み出すその源になるようなものが、ぽつりと芽生えてゆくのが感じられる。こんな読書が、そういえばあったことを思いだした。
 本書は、古本屋案内であると同時に十三の物語でもある。女のいきかたのカタログのようでもあるし、古本屋になりたい女性の参考書にもなりそうだ。シンプルな感想、と最初私は書いたが、そうしたところへ行き着く本は、じつはいろいろなふうに読むことができると思う。私が好きなのはそういう本だ。

(こだい・なりこ エッセイスト)

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女子の古本屋

岡崎 武志 著

定価1,470円(税込)