そこに壁はない —— 抵抗としての芸術文化論

大橋洋一

 昨年、エドワード・W・サイードの遺著『晩年のスタイル』を翻訳し、幸い、おおむね好評をもって迎えられたのだが、気になることもあった。サイードといえばパレスチナ問題である。だが、この濃密な芸術文化論からパレスチナが消えていることに対し、驚きと安堵と歓迎の声が多かったことだ——パレスチナのことは忘れていい、稀にみる純度の高い芸術論として読むべきだ、とか。
 これに似たような反応は、すでに存在している。パレスチナ問題がなければ、サイードは、芸術批評家として、数多くの思索を残せたはずだというようなコメントはけっこう多い。たしかにパレスチナ問題はサイードから、芸術評論に割く時間を奪った。しかし、政治と芸術が、永遠の敵であって、協調したり支えあったり、交じり合ったりしないと考えたら、それはまちがいだし、サイードが最も望まない神話化に加担するだけである。
 実は『晩年のスタイル』にも、ジャン・ジュネを論ずるなかで、パレスチナ問題への言及がある。にもかかわらず芸術論しかみない読者なり書評者が多い。パレスチナ問題とサイードとの結びつきは強いのに、芸術論とパレスチナ問題とは結びつかないと思われている。
 芸術と政治との結びつきは、芸術を政治的に利用するプロパガンダへのアレルギーから忌み嫌われる。いや現代の文化すべてが、見えないプロパガンダだともいえるのだが、それはさておき、芸術と政治とはプロパガンダとしてだけ結びつくのではない。芸術と政治が相容れないという現代の神話は、もうひとつの神話(パレスチナ神話)ともども考え直さないといけな
い。
 もしパレスチナ系アラブ人が、ヨルダン川西岸地区とガザ地区に閉じ込められていると思っている人がいたら、まちがいである。パレスチナ系アラブ人はイスラエルのなかでも暮らしている。パレスチナ人がテロリストとして越境してイスラエル人を苦しめているとだけ考えている人がいたら、まちがいである。イスラエル人軍人と民間人が、西岸地区やガザ地区に入植地を作り、パレスチナ人を苦しめている。もしイスラエルが作っている壁が、テロリストの越境を防ぐために休戦ライン上に作られていると思っている人がいたら、まちがいである。壁は、ヨルダン川西岸地区のパレスチナ人側の中に作られ、居住地をずたずたに切り裂いている。
 サイードの死の年に出版されたインタヴュー集『文化と抵抗』を読めば、パレスチナ問題についてのこうした神話あるいは誤解から縁を切ることができる。と同時に、もうひとつの神話
——芸術と政治——からも読者が解放されるその緒につけるかもしれないと、翻訳者のひとりとしては期待している。
 政治宣伝の道具にもなる芸術文化は、また抵抗への手段となるというと、逆プロパガンダにしかすぎなくなるが、そうではなく芸術文化は抵抗そのものになるということだ。妥協しない、安易な和解はしない、どこまでも個であり、全体化にくみしない、へそまがりで、いつもよそ者である——政治や社会の話ではなく、芸術文化(サイードが示してくれる)の話なのだ。政治が抵抗としての芸術文化を育み練り上げる。このことは『文化と抵抗』の随所に認められるはずだ——クラシック音楽を通してアラブ人とイスラエル人との交流を図るサイードの試みに感動しつつ、そしてパレスチナ出身の芸術家が多いことに、はっとしつつ。
『晩年のスタイル』の芸術文化論に目を奪われる読者は、むしろそこに政治論を読むべきだし、パレスチナ人の置かれている苦境、そして失われることのない希望が語られる歴史的政治的なこの対談のなかに、未来の芸術文化論の輝きがあると知るべきだ。政治と芸術文化のあいだに壁を築くべきでない。
(おおはし・よういち 東京大学教授)

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