感得する美術史

大竹昭子

 森村泰昌さんは世代的には団塊のはじっこに引っかかっていて、ヘルメットをかぶった学生が「シュプレヒコール!」なんて叫ぶ口調も耳に残っている世代のはずなのだが、なぜかそういう感じがしない。それよりもっと若い世代のような気がして仕方がない。
 世に出たのが遅くて、ゴッホの自画像に顔をはめこんだあの有名な作品でデビューしたのが三十四歳のときだった。遅く出てきたから世代の持つ雰囲気とズレているのかとも思ったが、そうではなくて時代とズレていたからデビューが遅くなったと言うほうが当たっているかもしれない。
 あのゴッホの作品をつくったときに彼が願ったことはただひとつ、「絵の中に入りたい」ということだったという。ふつうこんなことを考えるだろうか。少なくともまともに美術をやっている人からは出てこない発想である。だって絵は「描くもの」であって「入るもの」ではないのだから。
 このように森村さんの考えることはなにもかも正統なる路線から外れている。ゴッホの絵のときも、ああ、入ってみたい、どうして入ってはいけない? 思いきって入ってしまえ! というふうに、内なる声の三段論法で前代未聞の行為に飛び込んだのだ。このように自分の肉体を信じたところが森村さんの新しさだったと思う。美術史の文脈を意識した外部からの発想ではなくて、三十四年間生きてきた自分の内側にわき起こる欲望を受け入れたのだ。
 その後も彼はレオナルド・ダ・ヴィンチの『モナリザ』になったり、ゴヤの『裸のマハ』になったり、つぎつぎと名画の中に入っていった。どれも「美術史への挑戦」や「名画の権威を引きずり下ろす」(こういうのこそ、団塊世代的発想だろう)というような考えとは無縁の率直な衝動だった。
『超・美術鑑賞術/お金をめぐる芸術の話』の中で、森村さんの展覧会を見たある子供が、家に帰って古い画集の中に「モナリザ」を見いだし、「あっ、森村さんだ」と言ったという話を引用しながら、彼はこう語っている。
「その子供は、間違っているのでしょうか。私はそうは思いません。公の歴史とひとりの個人的な出会いの歴史がいつも一致しているとは限らない。そして、どちらがリアリティーをともなう歴史なのか、誰にも判断できないのです」
 彼の美術行為もおなじように、絵画作品との「個人的な出会いの歴史」を綴ったものである。絵の前に立って見ているだけでは得られないものを、肉体を介して発見し、感得し、美術史家がおこなうのとはまったくちがう方向から、彼個人の美術史を記そうとしているのだ。
 本書には、「レンブラントとプリクラ」とか「マネと贈収賄」とか「佐伯祐三とグローバル・スタンダード」など、題を読んだだけでも「えっ」と思うような突飛な項目が並んでいる。とくにヨーロッパにしがみついて絵を描き、道半ばで没した佐伯祐三の孤独な闘いを、学ぶものなしとすぐに帰国した小出楢重と対比させながら描いた個所は興味深く、読み応えがあった。
 結論もさることながら、どうしてそんなことを考えたのかがおもしろい。思考の道筋をたどるのが愉しいのである。思考というのは頭の中で行うもので、その作業は他人には見えないのがふつうだが、これらの文章を読んでいると、考えている最中の彼がそこにいて、ああそうか、なるほど、などとつぶやきながら言葉をつらねていくのが、目に見えるような気がするのだ。
 それは本書が語りを元に作られたことに理由があるのではなく、そもそも彼の中に、自分に話しかけるように考えを起こしていくところがあるためだと思う。知識ではなく、問いが先にあるのだ。
 彼の文章はいつもピッチの高い大阪弁の声をともなっており、声がしなくても朗読を聞いているような感触がある。そして本当に朗読してくれたらもっとおもしろいだろうなあという夢想をも運んでくる。
(おおたけ・あきこ 文筆業)

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