消えた出版社を追って

内堀 弘

 掌にのるほどの小さな詩集の奥付に、ボン書店という名前を見たのは、もう二十年以上も前のことだ。
 私は郊外で古本屋をはじめたばかりだった。詩歌書を蒐めていきたいと、そんな話をしたのだろうか、ある初老のお客さんが戦前の詩書を何冊か頒けて下さった。そのなかに、この小さな詩集があった。
 和紙のように見えたが、やや厚手の普通紙だった。そこに、一文字ずつ、それこそ刻むように活字が押されている。充分な余白と、余分をそぎ落とした簡素な装丁。豪華なところは少しもないのに、一冊の書物がまるで一つの作品のように見えた。
「ボン書店らしい詩集でしょ」、初老のお客さんがそう言った。私は、その名前を聞くのも初めてだったけれど、でも、言葉の意味が少しわかるような気がした。
 ボン書店は、一九三〇年代に活動したモダニズムやシュルレアリスム文献の出版社で、北園克衛や山中散生、安西冬衛といったあの時代の新鋭詩人たちの詩集を出していた。どれも少部数で、「ボン書店らしい」作りだ。
 モボやモガが闊歩した時代。そこに尖端の詩人たちが集まり、スタイリッシュな詩集が生まれる。ボン書店とはいったいどんな場所だったのか。春山行夫(彼もまた一九三〇年代を駆けた詩人だ)は、短い随筆の中にこんな思い出を書き残していた。
 ボン書店は、出版社といっても会社ではなかった。鳥羽茂という二十歳そこそこの青年が、一人で活字を組み、印刷もしていた。楽ではない暮らしの中で、彼は稼ぎを投じて好きな本を作っていたが、やがて病に倒れ姿を消してしまう。
 ボン書店がなければこうした本(というのは若いアバンギャルドたちの本)は出なかったと、これは春山行夫も記しているのだが、しかし、鳥羽茂という青年がどこからやってきて、どこへ消えたのか、つまり彼が何者だったのかは一切がわからない。回想はそう終わっている。
 たまたま手に入った古い詩集が、こんな伝説に繋がっているのだから、古本屋という仕事は面白い。
 ところが、もう少しこの小さな出版社のことを知ろうと、当時の資料や文献、詩人たちの回想をあたってみても、これ以上の記述はどこにもないのだ。
 身銭を切って他人の詩集を作っていた青年のことなど、少し大袈裟に言わせてもらえば、そんな捨て身の情熱を、この国の文学史は覚えていないのだ。
 遺された刊行書と、破片のような記憶を蒐めて、私は鳥羽茂という無名の出版人が遺した足跡を、夢中になってたどっていった。
『ボン書店の幻』は、その追跡のドキュメントで、一九九二年に京都の白地社から刊行された。この秋に、それがちくま文庫から再刊される。
 文庫化にあたって、ボン書店が出した本の写真を撮り直すことになった。私は、三十冊ほどの小さな詩集を写真家の坂本真典さんの仕事場に運んだ。どれも必死になって蒐めたものだが、それでもボストンバッグ二つに収まった。
 鳥羽茂は二十八歳で逝った。そこで広げた本、つまり、ボストンバッグ二つに収まってしまう本に、彼は生涯を賭したのだった。そう思うと、やりきれなさがこみ上げてきた。
 十六年前の『ボン書店の幻』では、物語の最後にたどりつけなかった。それを、今回の文庫では書くことができた。足跡を追いながら、「それでも本を作る」という情熱は、こだわりとか決意ではなく、ただどうしようもない衝動と思うしかなかった。
 よく作家の集合写真で「右から誰々、誰々、一人おいて誰々」と、飛ばされている人がいる。きっと鳥羽茂もそんな一人なのだろう。本の向こう側には、言葉では書かれていない物語が潜んでいる。一人おかれたままのそんな物語が十六年も経って再刊されるとは、本の神様はいるのかもしれない。
(うちぼり・ひろし 古書店主)

前のページへ戻る