梶井基次郎・全集未収録書簡

小西善次郎宛梶井基次郎の手紙

 お葉書有難う、あの翌日は朝から雨だったので天城越はどうなっただらうと思ひながら十一時頃まで寐てゐました、その日のうちに一度訪ねてゆかうと思ってゐたのですが雨のなかを億劫でもあり、それに身体の調子も悪かったので、一日中床に就いてゐました。その翌日も一日就床、湯本館へ行ったのはその次の次の日位でおかみさんに話をきいてさうだったら訪ねるんだったのにと残念に思ひました。
 下田までゆけなかったのは呉々も惜しかったがせめて天城の谷を見られたのはなによりでした。傘を持ち、弁当を持ち、ときいて雨などに辟易しない兄達をとてもうらやましく思ひました。それにしても湯ヶ島が気に入ったのはなによりです、若し論文が悠々と出来さうだったら今年のうちにまたやって来られるやう、猪や山鳥などを御馳走します。
 最近川端さんの奥さんから東北の林檎をたくさん送って貰ひました、もうすこし早ければ一緒に食べられたのに、まんのわるいことでした、孤独なる湯ヶ島林檎王。その水々しい歯ざわりもなんとなく寒い感じがします。御礼の手紙へ兄の話を書きました、川端ではさぞ驚いてゐるだらうと思ひます。
 今日も宿(シユク)(下田街道の字)まで散歩したら鈴なりの柿の木へ人があがってもいでゐる傍らには青々とした柚の木がもう実を黄色に光らしながら眼を射るのを眺めました。昨日の雨で冨士山はまっ白白として、容積がふえたやう、蕭々たる刈穂田のなかを歩きました。今年の冬はどうもさみしさうです。それではこれで失礼 谷氏へよろしく。九日夜、
 小西善次郎様

梶井基次郎

追伸
 九日の晩書いた手紙をまだえう出しませんでした、
 そのかはり変ったことをまた書き足します、
 昨日小森館脇の街道を歩いてゐたら渓から大きな鹿が出て来て街道を横切り畑から雑木山へはひって行くのに出喰しました、これにはちょっと驚きました、少しもあはわてず穏和しい顔付と態度でしかし見てゐるうちに雑木のなかへ消えてゆきました、
 昨夜はまた、世古ノ瀧の権現様のお講がありそのあとで義大夫の会をやるので僕もきゝにゆきました。大夫は湯本館のおぢさん、あんま、それから角屋といふ飲屋にゐたいつも芝居の元締をやる婆さん、菓子屋、自転車屋など、先生といふ人もやりました、
大阪にゐて文楽を見なかったことを非常に残念に思ひました。大抵は下手で文楽を床しがらせる程度で終りましたが、七時から十一時まで村の人達と一座して村の義大夫をきいてゐるといふことを、東京のことなどと思ひ比べ自分ながらいかにも気楽に感じました、
 今夜は雨になりました 晴れたらまためっきり冬になってゐるでせう それではこれで失敬します
 十一日夜

基次郎

昭和二年十一月十一日
伊豆湯ヶ島温泉 世古ノ瀧 湯川屋より
東京市本郷区追分町三十一 第三冨士見軒内 小西善次郎宛(封書)
小西善次郎(一九〇〇—七一) 昭和三年東京帝大卒業後旧制中学校教員となり、
愛媛県松山中学校教頭を経て八幡浜中学(旧制)校長に就任、戦後も宇和島南高、
今治西高など同県の高等学校校長を歴任した。
この小西善次郎宛書簡は、ご子息玄洋氏からのご提供によるもので、
弊社『梶井基次郎全集』には未収録のものである。
HP掲載にあたっては、仮名遣いはそのままに、漢字のみ新字体に統一した。


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