大塚ひかり・江川達也対談 源氏物語はやっぱりエロい

写真・森幸一

紫式部はオタクである。
大塚ひかり・江川達也対談 4 江川:俺が勝手に思うのは、『源氏』に出てくる話は、実際に当時頻繁にあった話の数々なんでしょう。この人は、この時代のいろんな話のすごい収集家だったんじゃないかな。
大塚:収集家ですよね。それに、私は紫式部が江川さんみたいに、色恋でいっぱい経験のあった人だとは、思えないのね。紫式部って、基盤に、強い道徳観みたいなのが、あるでしょう? 中国思想に影響されているし。
江川:漢文やってましたからね。
大塚:うん。そういうの知っている上で、エロを書いてるからまた……。
江川:人間が二重構造だったんじゃないですかね。内面は相当、妄想が爆発してた人でしょう。
大塚:紫式部は固い人だし、しかも人の体験も我がもののように感じられてしまう、特異体質なんですよ。『紫式部日記』を読むと不思議な能力があって、水鳥の気持ちにもなっちゃうんです。水鳥はああやって優雅に見えているけれども辛いに違いない、御輿(みこし)をかつぐ駕輿丁(かよちょう)も、肩に食い込んで辛いに違いない。私も同じようなものだって。みんなわがことに感じられるんです。自分自身の経験はそんなになくても、いろんな人の話を見聞きして、みんな自分に置き換えて思うんだろうと。こういう「なりきり能力」があるから、男も女も、端役に至るまでキャラが立っている。本当に『源氏物語』にはリアリティがあると思います。ディテールがものすごく書き込んであるし。リアル過ぎて苦しくて、十年前、心の病になった時は『源氏物語』が読めないくらいでした。これ自分だよと。自分に向き合わせられ過ぎて。「幸せとは何か」ということについての追求が、真剣すぎて苦しいほどにあるんですよ。
江川:そういう特異体質の人が、恋愛事情も、唐の国のいろんな話とかも集めてきて、それをあますところなく入れていて、だからこの人がすごいわけじゃなくて、その時代の宮廷の成熟度がすごかったというふうにも解釈できる。
大塚:とにかく、詰め込んである知識や、引き歌の量もすごい。それについては、当時の貴族にはそういう基礎知識があったんだというふうに言われがちですが、私は違うと思う。だってもう『白氏文集(はくしもんじゅう)』から何から、わけのわからない漢籍、官僚だって読んでなさそうな、そういうのまでもいっぱいひいてあるんですよ。異常ですよ。独りよがりなまでに。そういうのも私は全部、原典に当たって調べましたけど。
江川:それはコンプレックスでしょ。女だってことで馬鹿にされたから、どんどんオタクになって、男だってこんなこと知らないだろうってどんどん出してくるみたいな。そういう人なんでしょうね。
大塚:コンプレックスというか……。
江川:この人、たぶん人の書いたもの読むと、突っ込みまくる人ですよ。こんなの違う、とか、ここは引っ張りが足りないね、みたいな。そういう、知識を物語に取り込んでいくことによって、より、リアルに見せていく。
大塚:たしかに、実在した人物名を入れていったり、よりリアルに見せる工夫はしていますね。ただ、引用に関して言えば、あんまり読む人のことを考えてないような引用も多い。わかろうがわかるまいがいいと思っているんじゃないですか。
江川:それがオタクの真骨頂。わかるヤツだけわかれという。そういうのが真骨頂じゃないですか。
大塚:じゃわかるやつだけわかって、あとは調べてみろ、みたいに。
江川:そう。そうすると読者から、あんなのまで発見しましたよとか言われる。ふふふ、そんなの発見して自慢しているが、これは発見してないぞ! みたいな。チャレンジなんです。読んでいる人の知性への。逆に、読者に向けて、お前、どこまで知ってる? みたいな。それはある意味、紫式部の中での知的ゲームですよね。後の読者じゃなくて、その当時の人達にそういうことを言われて人気を博してさすがだと言われたいという。だから非常にわかりやすい人ではあるんじゃないですか。
大塚:たしかに、『源氏物語』の作者は読者の「質」を求めてますね。「啓蒙」し、挑戦してる部分もあると思う。それとね、紫式部の構成力って、ものすごいってことが、一巻を訳していて最後の最後の校正段階になって、身にしみてわかったんですよ。つまり、にくいほどうまく伏線を張っている。自然現象も、感情表現も、その次の展開と、すべてつながっているんですよ。
リアルで、エロくて、知識満載で、ものすごくうまく構成されていて……圧倒的なパワーのある物語ですよ、『源氏物語』は。