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大内力(オオウチ・ツトム)
大浦康介(オオウラ・ヤススケ)
京都大学人文科学研究所教授。専門は文学・表象理論。訳書にバイヤール『アクロイドを殺したのはだれか』、ヤン・アペリ『ファラゴ』などがある。
大江健三郎(オオエ・ケンザブロウ)
1935年生まれ。作家。94年ノーベル文学賞受賞。伊丹万作の長男、映画監督の故伊丹十三は義兄にあたる。作品に『個人的な体験』『燃えあがる緑の木』『水死』など多数。
大岡昇平(オオオカ・ショウヘイ)
1909年東京生まれ。1988年に没す。京都大学仏文科卒業。作家。小説に『俘虜記』『野火』『武蔵野夫人』『花影』『幼年』『少年』、戦記文学に『レイテ戦記』、評論エッセイに『中原中也』『わがスタンダール』『証言その時々』などがある。
大岡信(オオオカ・マコト)
大岡 信(おおおか・まこと):1931-2017年。静岡県生まれ。東京大学文学部国文科卒業。詩人、評論家。読売新聞外報部記者を経て、明治大学教授、その後東京藝術大学教授となる。詩の実作はもとより、詩歌、芸術に関する文章も数多く執筆。朝日新聞で長年連載された「折々のうた」は、多くの読者に愛された。レジオンドヌール勲章(オフィシエ)、文化勲章他数多くの受賞歴がある。詩集に『水府?みえないまち』『草府にて』『春?少女に』『故郷の水へのメッセージ』『地上楽園の午後』他。評論に『蕩児の家系』『うたげと孤心』『詩人・菅原道真』他多数。
大賀祐樹(オオガ・ユウキ)
大川加世子(オオカワ・カヨコ)
大川周明(オオカワ・シュウメイ)
1886年山形県生まれ。1957年没。戦前の代表的な思想家。五・一五事件に関与したとして禁固5年の判決をうけ、戦後A級戦犯として起訴されるが病を理由に不起訴となる。インド独立運動に協力するなど、アジア主義的言論を繰り広げる。特にコーランの全文翻訳を成し遂げ、日本のイスラム研究に大いに貢献した。著書に『復興亜細亜の諸問題』『日本二千六百年史』『古蘭』『安楽の門』『大川周明全集』などがある。
大川正彦(オオカワ・マサヒコ)
1965年生まれ。東京外語大学教員。著書に 『正義』(岩波書店)、『マルクス』(NHK出版)など。
大川玲子(オオカワ・レイコ)
大川玲子(おおかわ・れいこ):イスラム学者。明治学院大学国際学部教授。ロンドン大学東洋アフリカ研究学院(SOAS)修士課程修了。東京大学大学院人文社会系イスラム学博士課程修了。著書に『イスラーム化する世界――グローバリゼーション時代の宗教』(平凡社新書)、『クルアーンーー神の言葉を誰が聞くのか』 『リベラルなイスラームーー自分らしくある宗教講義』(ともに慶應義塾大学出版会)、『イスラーム基本練習帳』(共著、大和書房)などが、訳書にマイケル・クック『コーラン』 ( 岩波書店)がある。
大川渉(オオカワ・ワタル)
1959年生まれ。大阪で育つ。文筆家。早稲田大学卒業。酒場巡りや町歩きに関するエッセイや書評などを新聞・雑誌に執筆。無頼派の作家、作品に詳しい。著書に『下町酒場巡礼』『文士風狂録─青山光二が語る昭和の作家たち』『東京オブジェ』など。編集と解説を担当したアンソロジーに『聴雨・螢 織田作之助短篇集』『短篇礼讃 忘れかけた名品』がある。
大河原誠也(オオカワラ・セイヤ)
大河原 誠也(おおかわら・せいや):1991年生まれ、埼玉県出身。2015年にJICA入構。南アジア部、省庁出向、エジプト事務所を経て、人事部。
大木康(オオキ・ヤスシ)
1959年横浜生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程(中国語中国文学専門課程)単位取得退学。博士(文学)。東京大学東洋文化研究所助手、広島大学文学部助教授、東京大学文学部助教授、同東洋文化研究所助教授を経て、東京大学東洋文化研究所教授。専門は、中国明清時代文学。主な著書に『不平の中国文学史』(筑摩書房)、『『史記』と『漢書』』(岩波書店)、『明末のはぐれ知識人』(講談社選書メチエ)などがある。
正親町公和(オオギマチ・キンカズ)
大窪一志(オオクボ・カズシ)
大久保一彦(オオクボ・カズヒコ)
1965年神奈川県生まれ。法政大学を中退し、東京地方裁判所に勤務。その後、飲食店に転職。飲食店チェーン数社を転職した後、株式会社グリーンハウスフーズに入社し、「とんかつ新宿さぼてん」の多店舗化に成功。独立後は、数多くの不振飲食店を再生させた実績を持つ。フードコンサルタント。『行列ができる店はどこが違うのか』(ちくま新書)『なぜか行列のできる飲食店の法則』(PHP研究所)、『「行列のできるダントツ飲食店」の秘密』(日本実業出版社)ほか多数。
大窪愿二(オオクボ・ゲンジ)
大久保正(オオクボ・タダシ)
大久保利謙(オオクボ・トシアキ)
大久保彦左衛門(オオクボ・ヒコザエモン)
永禄3年(1560)、松平氏(のちの徳川氏)の家臣である大久保家に忠員の八男として生まれる。幼名平助、のち忠教に改名。彦左衛門は通称である。二度にわたる上田城攻め(天正13〈1585〉、慶長5〈1600〉)に参与するなど、家康・秀忠・家光の三将軍に仕えた。『三河物語』は元和8年(1622)頃から執筆が始まったとされ、自筆本が伝来する。寛永16年(1639)没。