〈中級〉学習のために

#5「楷書」と「くずし字」

横山雅彦(2022年2月28日 更新)

 ハノンユーザーのみなさんはすでによくご存じの通り、「中級」の女性ナレーターはアニャ・フローリスさん、男性ナレーターはジャック・マルジさんです。アニャさん、ジャックさんとも、入学試験や資格試験、英語教材、CMなどでひっぱりだこの、日本を代表する英語ナレーターであり、「上級」のナレーションもこのお二人にお願いしています。
 第4回のコラムで中村佐知子先生も書かれていましたが、きっとみなさんは「中級」の学習を進めながら、とりわけジャックさんが駆使する容赦ない英語に、ときに呆然とし、ときに負けじとファイトを燃やして、がんばっておられることでしょう。音声がアニャさんの回になると、ホッとした気持ちになるという声も耳にします。
 スロースピードは、書道で言えば、いわば基本の「楷書」で、誰が書いても(話しても)変わりませんが、ナチュラルスピードの「くずし字」になると、「行書」や「草書」、それらを混ぜた字体など、書家(話者)によって、くずし方の度合いはさまざまです。実は、「初級」では、ナレーターのジェリー・ソーレスさんとダニエル・ダンカンさんにお願いし、ナチュラルスピードで使う英音法を統一していただきました。「楷書に近い行書」と言えるかもしれません。しかし、「中級」ではできるだけ自然な英音法を収録したいと考え、「初級」の英音法を説明した上で、その先はアニャさんとジャックさんにお任せし、自由に読んでいただきました。結果、お二人のあいだにいくつか顕著な違いが表れていることは、みなさんご承知の通りです。
 まず際立っているのは、/h/のウィークニングです。「初級」のUnit 0で、「速くなると実際には消えます」と説明している通り、ジャックさんの場合、文頭以外の人称代名詞(he/him/his/her/hers)の最初の/h/は、まったく発音されていません。たとえば、「中級」最初のドリルとなるUnit 1.1の1)で、いきなりherの/h/が消えており、面食らった方も多いはずです。一方、アニャさんの場合は、同じherでも、Unit 1.2の3)を聞いてもわかるように、比較的明瞭に/h/を発音しています。同ドリルの4)のhimでも、/h/はしっかり聞こえます。
 実は、われわれは収録の際、ジャックさんと同じように/h/を消して読んでほしいと、アニャさんに注文してみたのですが、「自分はそのようには読まない」と、はっきり断られました。さらに、アニャさんがあまり使いたがらなかったのが、エリジョンとアシミレーションでした。
 エリジョンについては、第2回のコラムで、中村先生が説明してくださっています。重複を恐れずにあえて記すと、Unit 1.5の1)で、ジャックさんはinterestingを「イノレスティング」のように完全に最初の/t/を落として発音しています。これに対して、アニャさんはUnit 12.10の4)で、同じinterestingをエリジョンを使わずに読んでいます(収録中、エリジョンを使ってほしいと頼みましたが、ここでも答えはNoでした)。
 あるいは、Unit 1.6の1)のunless youは/ʃu:/(シュウ)、Unit 2.3の4)のas youは/dʒu:/(ジュウ)と、多くの英語ネイティブはアシミレーションを使って発音するのですが、アニャさんはそうしていません。ところが、面白いことに、1.6 の4)のaccept youでは、/tʃu:/(チュウ)というアシミレーションを使っています。ちなみに、ジャックさんの場合、Unit 1.9の4)のunless you’reでアシミレーションが起こっていますが、/ʃə/(シャ)ほどに弱くなっています。
 アニャさんはコネチカット州、ジャックさんはペンシルヴァニア州のご出身です。コネチカットとペンシルヴァニアは、いずれもアメリカ北東部の州で、地理的にも非常に近く、いわゆる地域による差はほとんど(まったく)ありません。では、そのお二人が使う英語が、なぜこのように違うのでしょうか。
 アニャさんがわれわれに聞かせてくれた理由は、「私はそのようにトレーニングを受けている」という意外なものでした。アニャさんは、大学で演劇を専攻し、アメリカで舞台女優をなさっていた経験をお持ちです。一時は韓国におられたのですが、日本のアイドルグループ「モーニング娘。」に憧れ、来日されたそうです。アニャさんは、舞台女優のお仕事を通して、早口でもはっきりと観客に聞き取れるような美しい英音法を工夫し、身につけておられたのです。それを聞いて僕は、アニャさんがaccept youではアシミレーションを使っても、unless youやas youでは使わなかったのは、おそらく/ʃu:/(シュウ)/やdʒu:/(ジュウ)のような音が、あまり女性らしく上品に響かないからではないか、と思いました。
 一方、ジャックさんは、17年間ラジオDJを務めたあと、2001年に来日、英語ボイスアーティストとして大活躍され、ウルトラマンゼロの英語版の声優を務めたことでも知られます。あの高揚感のある天下一品のグルーブは、きっと人気DJとしての努力と研鑽のたまものであるに違いありません。僕は拙著『英語バカのすすめ』(ちくまプリマー新書)の中で、「英語は、その人の人生そのものです。どんな英語を話したいかは、どんな人生を生きたいかと同じです」と述べています。やはり、お二人の英語の違いは、それぞれになさってきたお仕事(人生経験)とも深く関わりがありそうです。
 最後に、ジャックさんの英語においてもまた、随所できわめて興味深い音変化が起こっています。一つだけ例をあげれば、Unit 14.1の5)のNot untilです。このドリルではNot untilが2回出てきますが、1回目ではフラッピングを使って「ナランティル」のように/t/を弾音化しているのに、直後の2回目ではネイザル・リリースを使い、/t/で舌を上の歯につけたまま、/n/につないで鼻から抜いています。このわずか数十秒のあいだでの不統一については、実は中村先生とも再収録を念頭に、長時間検討を重ねました。結論として、こうしてこのまま残すことにしたのですが、それは、1回目はあくまでドリルのcue(指示)であり、2回目はもっと長い完全な文なのですから、ひと息で言い切るためには、後者でより吐息が節約できるネイザル・リリースが使われるのは、むしろ当然だと思われるからです。これもまた、長い経験を通して体得したDJのテクニックなのではないでしょうか。
 いずれにせよ、「中級」の音声は、英音法を学ぶ上での宝庫です。第2回のコラムで中村先生が書いておられるように、まずはこのまま、お手本通りに言えるよう、練習しましょう。アニャさんもジャックさんも、単に「使わない」だけで、もちろん他の英音法を使うことができます。すべての英音法を一通りマスターした上で、アニャさんやジャックさんのように、自分の「好み」に合う英語の音を求め、作っていくのも、英語の道を歩む楽しみの一つです。その英語は、みなさんの人格がにじみ出た、みなさんの人生そのものです。

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