蓮實重彦 SHIGUEHIKO HASUMI
『ボヴァリー夫人』論 Madame Bovary de Gustave Flaubert
蓮實 重彦 著 JANコード:9784480838131 A5判 850頁 定価:6400円+税
『ボヴァリー夫人』を徹底的に読み抜くことによって、
その「テクスト的な現実」に露呈するさまざまな問題を縦横に論じる。
歳月をこえた書き下ろし2000枚、遂に完成!
刊行に寄せて
蓮實重彦先生からオリジナルメッセージを頂きました!
『ボヴァリー夫人』の著者ギュスターブ・フローベールは、一八二一年一二月一二日にフランスの古都ルーアンで生まれました。それから八二年後の一九〇三年一二月一二日に、小津安二郎が東京で生まれています。小津が世界を驚かせたのは死後のことにすぎませんが、二人の誕生日が同じだという事実は、『「ボヴァリー夫人」論』の著者が一二月一二日生まれの人間に憑かれていると思わせずにはおきません。十九世紀のフランスの作家のみならず、二十世紀初頭に生まれた日本の監督についての書物も刊行してもいるからです。
ヨーロッパ起源の占星術や、アジア起源の干支にもほとんど興味をいだいたことはないのに、わたくしは『監督 小津安二郎』や厚田雄春さんとの共著『小津安二郎物語』に続いて、刊行の時期にはかなりのへだたりがあるとはいえ、このたび『「ボヴァリー夫人」論』を上梓し、一二月一二日生まれの二人の世界的な才能についての書物の著者となったのですから、そこに何やら宿命のようなものを感じとらずにはいられません。
青年期からフローベールと小津に惹きつけられていながら、二人の誕生日が同じだと気づいたのは、かなりの時間がたってからのことにすぎません。パリで『ボヴァリー夫人』をめぐる博士論文を準備していたとき、フランスの新聞で小津の死を知らされ、これはこの監督を本気で論じなければと思いたったとき、二人の誕生日が同じであることに初めて気づいたのです。しかも、小津は、律儀にも六〇歳の誕生日になくなっている。
誕生日が命日でもあるという人間はごく例外的にしか存在していないはずですが、一八二二年二月八日生まれのフローベールの友人マクシム・デュ・カンは、ちょうど七二歳の誕生日に亡くなっている。『凡庸な芸術家の肖像――マクシム・デュ・カン論』という『「ボヴァリー夫人」論』の姉妹編ともいうべき書物の著者でもあるわたくしは、小津とデュ・カンの共通性に改めて驚かされました。
フローベールと小津の誕生日が同じであることは、もとより偶然の一致にすぎません。小津とデュ・カンの誕生日がともに命日でもあるのも、同様だというべきでしょう。だが、はたしてそれはとるにたらない些事でしかないのでしょうか。どうもそうとは思えない。散文のフィクションには、偶然としか思えぬ意義深い細部の一致があふれているからです。『「ボヴァリー夫人」論』の著者は、何かに憑かれたように、偶然の一致としか思えぬテクストの思いもかけぬ響応ぶりを分析しております。それがつまらないはずはなかろう。一二月一二日に憑かれた男は、理由もなくそう確信しております。
ヨーロッパ起源の占星術や、アジア起源の干支にもほとんど興味をいだいたことはないのに、わたくしは『監督 小津安二郎』や厚田雄春さんとの共著『小津安二郎物語』に続いて、刊行の時期にはかなりのへだたりがあるとはいえ、このたび『「ボヴァリー夫人」論』を上梓し、一二月一二日生まれの二人の世界的な才能についての書物の著者となったのですから、そこに何やら宿命のようなものを感じとらずにはいられません。
青年期からフローベールと小津に惹きつけられていながら、二人の誕生日が同じだと気づいたのは、かなりの時間がたってからのことにすぎません。パリで『ボヴァリー夫人』をめぐる博士論文を準備していたとき、フランスの新聞で小津の死を知らされ、これはこの監督を本気で論じなければと思いたったとき、二人の誕生日が同じであることに初めて気づいたのです。しかも、小津は、律儀にも六〇歳の誕生日になくなっている。
誕生日が命日でもあるという人間はごく例外的にしか存在していないはずですが、一八二二年二月八日生まれのフローベールの友人マクシム・デュ・カンは、ちょうど七二歳の誕生日に亡くなっている。『凡庸な芸術家の肖像――マクシム・デュ・カン論』という『「ボヴァリー夫人」論』の姉妹編ともいうべき書物の著者でもあるわたくしは、小津とデュ・カンの共通性に改めて驚かされました。
フローベールと小津の誕生日が同じであることは、もとより偶然の一致にすぎません。小津とデュ・カンの誕生日がともに命日でもあるのも、同様だというべきでしょう。だが、はたしてそれはとるにたらない些事でしかないのでしょうか。どうもそうとは思えない。散文のフィクションには、偶然としか思えぬ意義深い細部の一致があふれているからです。『「ボヴァリー夫人」論』の著者は、何かに憑かれたように、偶然の一致としか思えぬテクストの思いもかけぬ響応ぶりを分析しております。それがつまらないはずはなかろう。一二月一二日に憑かれた男は、理由もなくそう確信しております。