例えば、「アケビ」の項では「女客あけびの前で横を向き」などと詠んでいる。この博士、困ったことに下ネタ全開なのである。ほとんど悪びれるところがない。
「馬糞蕈」の項では「食う時に名をば忘れよマグソダケ」「その名をば忘れて食へよマグソダケ」とも重ねて詠んでおり、ほぼ同じ内容のことを何度もしつこく言う様は、子供が糞尿の名を連呼するに等しい。このあたり、あたかも牧野博士の呵々大笑が聞こえてくるようで、まことに裏表がない。
定価:1,100円(10%税込)/ISBN:978-4-480-09139-0/刊行日:2008/02/06/ページ数:320
定価:1,100円(10%税込)/ISBN:978-4-480-09192-5/刊行日:2008/12/10 /ページ数:320
定価:1,100円(10%税込)/ISBN:978-4-480-09272-4/刊行日:2010/01/06/ページ数:320
定価:880円(10%税込)/ISBN:978-4-480-43885-0/刊行日:2023/05/10/ページ数:224
序章で紹介したように、私はいまから一〇年ほど前、古本屋で牧野富太郎『日本植物図鑑』(北隆館 一九二五)と村越三千男『大植物図鑑』(大植物図鑑刊行会 一九二五)という、二冊の古ぼけた植物図鑑と出会い、特別な目的意識もなく物好きに入手した。
ところが、何気なくその奥付を見比べると、事実上の同時発売で競争状態となっているので、びっくりした。この両書の初版から五版までの発行日を見やすく整理したのが表1である。各版ごとに何部ずつ刷ったのかわからないが、とにかくこの二種類の植物図鑑は、同時発売後も重版ごとに追いつ追われつの日付が続く。最初は牧野がわずかにリードし、五版になると村越が逆転した。牧野の『日本植物図鑑』は、B6判よりやや大きめ(四六判)で、本文一三四四ページ、索引・用語解説九三ページで二五五〇図をのせ、定価一〇円である。それに対し村越の『大植物図鑑』は、A5判より大きめ(菊判)で、本文一一五三ページ、索引二六〇ページで四三三九図をのせ、定価二〇円(会員制で頒布)。とくに村越の図鑑は、索引が学名、和名、科別、食用植物、有毒植物、薬用植物、観賞用植物、挿花用植物、牧草用植物、採集用(産地、花色、花期、科別分類)などと分かれ、使い易さが目立つ。大正一四年九月といえば、関東大震災から二年がたち、東京もようやく復興しつつあったときである。読者は、大型で図版が多く、一見して応用面も充実していそうな、しかし高価な村越の図鑑を買おうか、それとも図版は少ないけれど、ややコンパクトで安価な(といっても当時の一〇円は大金)牧野の図鑑を買おうかと迷ったに違いない。
それにしても、この大きな植物図鑑の著者である村越三千男とは、どんな人だったのだろう。そして、まったく同じ時期に二種類の植物図鑑が出版された裏には何があったのだろう、と私の野次馬的な好奇心は大きくふくらんできた。両者の序文を読むと、何となく何かがあったと匂わせるものが感じられる。
まず牧野は、「然し匆卒の際であるから私の理想通りのものは尚将来でないと完成しないが、兎も角も目下の急に応ずる為に本書のようなものが出来た。……然し今はただ周囲の事情が急であって充分思うようなことが出来なかったのを頗る遺憾とする」(『日本植物図鑑』序文)といっている。
それに対して村越は、「これで余が植物研究の最初の目的を達した訳であるが、此に到達する迄には随分幾多の辛酸困苦と戦わねばならなかった。……幾度か忍ぶ可ざるものを忍びつつ、唯此の研究を成し遂げんがために、一意専念に邁進した。……如是幾多の辛酸を経過した後で、漸く本書を完成し得た」(『大植物図鑑』序文)と書いている。もちろん、ここでいう辛酸困苦というのは、家族を犠牲にし、経済的に恵まれない状態を指しているのだろうが、それだけではなく、出版競争で受けた無形の圧力に対して、忍ぶべからざるものを忍んだ様子が、行間ににじみ出ていると私には感じられた。
もしも出版をめぐる競争があったとしたら、新聞広告が何かのヒントになるかもしれないと思い、大正一四年(一九二五)九月の東京朝日新聞を調べてみた。当時の新聞広告でもっとも目につくのは、化粧品や医薬品であり、ついで雑誌類である。文芸春秋、中央公論、主婦の友など、いまでもなじみの誌名に交じって、知る人ぞ知るキング、講談俱楽部、婦女界、少年世界、赤い鳥、井上英語講義録、早稲田大学六大講義録などが大きなスペースをとって並んでいる。単行本の広告は少なく、また小さい。そして植物図鑑の広告は見つからなかった。
俵浩三『牧野植物図鑑の謎――在野の天才と知られざる競争相手』(ちくま文庫)p.82-85 より