禅宗は、早くから、禅者の教説や言行を文字に書き記して伝えて来た。それはほどなく入唐僧・入宋僧たちによって日本にも将来され、爾来、各種の禅籍が、日本の禅門において読みつがれてきた。この間、個々の字句にとらわれず、あくまでも実地の修行の導きとしてそれを読むという姿勢が保たれてきたのは、ある意味では、当然のことであった。禅籍は肚で読む、という言いかたは、今日でも未だ死語になってはいない。
これに対し、禅宗文献を中国古典文献の一種として語学的・文献学的に読み解こうという試みが開始されたのは、実はわずか半世紀余り前のことでしかない。入矢義高が戦後まもなくの頃、京都大学人文科学研究所(京大人文研)で岩波文庫の『臨済録』の読書会を始めたのが、その初めであった。
戦前において、宗門の老師や居士による評釈ふうのものをのぞき、一般の読書界・知識界に公開されていた禅宗文献の学問的訳注書としては、岩波文庫に収められた数点がほぼその全てであった。中国のものについてその書名を挙げれば、臨済禅の正統の師家としての朝比奈宗源による『臨済録』と『碧巌録』、および印度学・仏教学の権威であった宇井伯寿による『頓悟要門』『伝心法要』『禅源諸詮集都序』等である。これらの書物では未だ現代語訳は行われておらず、原文の句読・訓読・語釈についても、今日の中国学の水準から言えば多くの過誤と不備を含んではいたが、禅宗文献が宗門人や参禅者の範囲を超えて知識人一般の関心事となりえたのは、おそらく岩波文庫の功績にほかならない。戦後、入矢が唐代口語史研究の一環として禅宗語録の読解に着手した際、まず読書会のテキストとしてこの文庫が利用されたのは自然の勢いであった。
戦後、その読書会を皮切りに、入矢は柳田聖山と互いに協力しつつ、精力的に禅宗文献の学問的解読を進めていった。大徳寺内での佐々木ルース主催の『臨済録』英訳プロジェクト、人文研や禅文化研究所(京都・花園大学内)での共同研究等がその主な舞台であり、その成果はやがて筑摩書房の『禅の語録』全20巻に結実する(1969年から1981年。ただし、うち3巻は未刊)。この叢書は、本文校訂の厳密、訓読と現代語訳の正確、そして注釈の精深と周到において、禅宗文献読解の水準を飛躍的に推し上げたものであり、今日でも禅宗研究者の不可欠の参考書となっている。『禅の語録』既刊17巻のうちに『臨済録』『頓悟要門』『伝心法要』『禅源諸詮集都序』が含まれているのは、それらの典籍が重要であるからだけでなく、この段階の研究が第一期の岩波文庫本の批判的検討から出発したことの名残でもある。のちにやはり入矢の指導で完成される『馬祖の語録』、『玄沙広録』上中下、『景徳伝灯録』の訓注等(いずれも禅文化研究所刊)は、その事実上の続編であった。禅宗文献が中国古典文献の一種として厳密な学問的解読をほどこされるようになったのは、『禅の語録』以降のことであり、これによって禅の書物は、禅宗研究のみならず、東アジア漢字文化圏の歴史・思想・文学・語学などの研究においても重要な資料として用いられるようになった。
禅研究の分野では、『禅の語録』とその事実上の続編である禅文化研究所刊行の訳注書を基礎として、ひきつづき禅宗文献の学問的解読がつづけられ、やがて21世紀に入ったあたりから、その蓄積をもとに禅の思想史――厳密にいえば「禅」そのものの思想史と言うより、禅宗文献に書きのこされた思想の歴史、いわば「語録」の思想史と言うべきもの――が考察されるようになってきた。その試みはここ数年の間にようやく形を表わしはじめたばかりで今なお未熟なものではあるが、それにともなって、修行の世界と学問の世界のあいだに対話の路が開かれるようになってきた。かつて、両者の間はお互いに、よくて敬遠、ともすれば無視や暗黙の敵視というふうでもあったようだが、近年、見識と度量を具えた心ある禅門の人々によって、禅宗文献の学問的解読の意義が認められるようになり、その成果をまずは虚心に学んでみようという禅僧の勉強会が、京都でも、東京でも、定期的に開かれるようになっている2016年の臨済禅師の1150年の遠忌とその翌年の白隠禅師の250年の遠忌、その2年つづきの記念事業が大きな動機づけとなっていると聞くが、そうした勉強会の一端に連なりながらひしひしと感ずることは、今回、そのための種々の活動をつづけている禅門の人々が、遠忌を過去の記念でなく、未来への突破口にしようという強い意志をもって働いているということである。禅をひろく社会に発信しようという外向きの努力と、学問的成果を吸収して修行体験の内実を自覚的に深めようという内向きの努力、その両方向が表裏一体となって進められているさまには、正直、頭が下がる。禅は、今また、新しい時代に入ろうとしているのだと実感する。
その間、『禅の語録』や『馬祖の語録』はながらく品切れとなり、若い求道者や研究者は古書での入手にも苦労する状態がつづいていた。復刊の希望は早くから数多く寄せられていたそうだが、長期的な出版不況のなか、その実現はきわめて困難であった。しかし、右のような気運のなか、筑摩書房ではついにその復刊を決断し、禅文化研究所と協力して未完の2点のかわりに『馬祖の語録』と『玄沙広録』を編入し、さらに解説の巻を新規に作成して全二十巻をそろえることとなった。新編成による復刊は禅門の改革と新生の気運に後押しされたものであり、と同時に、この復刊は禅門のそうした気運をさらに推し進める有力な一助となるはずである。
本巻は、当初、入矢・柳田両先生によって執筆されるはずであった解説の巻に代わるものであり、『禅の語録』を読み進めるために必要な語録の世界の見取り図を提示しようとするものである。両先生によって書かれるはずであった解説にくらべれば、きわめて稚拙であることを認めざるを得ないが、求道の面からであれ、学問の面からであれ、これから新しく語録の世界に入ってゆこうとされる方々にとって、まず最初の一歩を踏み出すための、足のとどく踏み台になり得ていれば幸いである。
2016年4月
小川 隆(駒澤大学教授)