ちくまの教科書 > 国語通信 > 連載 > 「高ため」を黙読する授業第二回(3/6)

「高ため」を黙読する授業

(この連載は、機関誌『国語通信』1996年春号~1999年春号に掲載された文章を転載したものです。)
第1回 わたしのアンソロジー
第2回 密室をつくる
第3回 逆習シール
第4回 テキストを編集する
第5回 モーツァルトへの手紙
第6回 教室に風を入れる
服部左右一(はっとり・さういち)
愛知県立小牧高等学校教諭
元愛知県立小牧工業高等学校教諭
『高校生のための文章読本』編者
筑摩書房教科書編集委員
長年「表現」分野の指導メソッド開発に携わる。

第2回 密室をつくる
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3 読むことの楽しみ

 最近『中国の自伝文学』(川合康三著・創文社)を読んだ。この本の中で、著者は「読むことの楽しみ」の原初の形を陶淵明の「五柳先生伝」の中に見つけ出している。

「書物を読むのは好きだが、とことんまで理解しようとはしない。自分の気持ちにぴったり合うと、嬉しくなって食事も忘れてしまう。」という五柳先生の読書の姿勢を取り上げて、著者は「自分に引き付け本を読み、自分が楽しければそれでいいという読書の態度、それは上の(営利を慕わず)に続くもので、本を読むことが学問を身につけ、世間での名声、利益を得ようといった、読書以外のものを目的とするものではないことを語っている。」と解説し、「これは読書の快楽、ないし快楽としての読書について語った、最も早い記述であろう」と位置付けている。

 自分の好きな所を探しだして、その部分を何度も繰り返して読み味わう。読むことの楽しみを最優先した、いわば純粋読書ともいうべき読み方を実行した人が古代の中国にすでにいたのだ。

 読書の楽しみなどは自分自身で見付けだすもので、何も授業時間を使って行なうようなものではない、学校の授業のように大勢の人間が一斉に同じものを読んで同じ解釈をする流れ作業のような方式の中でそれを見付けだそうなんてのは甘いなどと、お叱りを受けそうな気もするが、その意見は学校を一歩出てしまえば読書のドの字も思い出なさい若者たちの耳には届きそうもない。

 普段あまり読書という形で本を読まない私も今回の授業で久しぶりに本物を読んだという手ごたえがありました。長くもなく短くもないこの量はこんな私でもあきずに読んでこれました。これからの人生、生きていくうえの教訓のようなものでした。まちがっていた自分の考えも正せたし、「あ、私もそう思うな」という所もたくさんあって楽しい一冊でした。(化工科M君)

 このM君のような感想に接して、ああ、「わたしのアンソロジー」をやってよかったと思う。はじめは教師として少し勇気がいったけれども、徐々に切り替えるよりも思い切って一挙に転換してよかった。少しずつの変化だと分からなかったことも急激な転換なら見えてくることもある。別の窓を開けて今までとは違った風を教室の中に吹き込んでもいい頃ではないだろうか、と思うようになった。

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